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萩原朔太郎の詩「大渡橋」~詩集「純情小曲集」より

今回は萩原朔太郎の「大渡橋(おおわたりばし)」というをご紹介します。

 

大渡橋

 

ここに長き橋の架したるは

かのさびしき惣社の村より 直(ちよく)として前橋の町に通ずるならん。

われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり

往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり

あわただしき自轉車かな

われこの長き橋を渡るときに

薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。

ああ故郷にありてゆかず

鹽(しお)のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり

すでに孤獨の中に老いんとす

いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん

いまわがまづしき書物を破り

過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。

われは狼のごとく飢ゑたり

しきりに欄干(らんかん)にすがりて齒を噛めども

せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で

頬(ほ)につたひ流れてやまず

ああ我れはもと卑陋(ひろう)なり。

往(ゆ)くものは荷物を積みて馬を曳き

このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。

 

大渡橋とは

 

大渡橋(おおわたりばし)は、群馬県前橋市総社町総社と同岩神町の間の利根川に架かる群馬県道6号前橋箕郷線(上毛三山パノラマ街道)の橋で、日本百名橋に選ばれた。 今日の橋は3代目にあたり、左岸側には萩原朔太郎の詩碑、右岸側には緑地がある。

 

明治時代、舟橋や木橋が架けられた後、近代橋の利根橋が下流に架けられた。 1921年(大正10年)初代となる大渡橋(長さ504 m三連鋼曲弦トラス橋)が架けられ、萩原朔太郎は『郷土望郷詩』で題材とした(引用元:ウィキペディア)。

 

文学的な、あまりに文学的な萩原朔太郎の世界

 

私の「詩心チャンネル」のコメント欄で、萩原朔太郎の詩も取り上げてほしい、という主意のご要望をいただいた。

 

少々、困惑した。

 

萩原朔太郎の詩は、あるいは、萩原朔太郎が目指した世界は、あまりにも文学的である。その文学的な表現志向を、自身の理想を、萩原はほとんどかなえられなかったのではないか、という想いがすぐに浮かんできたからだ。

 

萩原朔太郎の目指した詩的境地は、他の日本の詩人に比べて、あまりにも異質過ぎている。

 

ただ、古今東西の文学史を引いた視点で振り返ると、萩原朔太郎の目指したであろう境地は、何ら特別なものはない。

 

萩原自身は自分を異端児だと感じ、相当に傷つき不幸を背負って生きたと思っていただろうが、その苦悩はむしろ凡庸であり、俗っぽいものであったのかもしれない。

 

萩原の詩に、概念性が強く、大げさで生々しい表現が多いのは、あふれるほどの詩才には恵まれていなかった証拠だとも言えるだろう。

 

崇高な志を抱いて詩作に励んでも、できた詩自体は平凡だった、ということはありうるのである。

 

注視すべきは、萩原朔太郎は、私たちが萩原朔太郎から離れて、純粋に詩として味わえる、客観的かつ普遍的な結実を果たせなかったことだ。

 

今回、ご紹介した「大渡橋」も、駄作ではないが、詩として成功しているとは言い難い。

 

感情の激しさ、切実は伝わってくるが、萩原朔太郎に対して何の予備知識もない人に、何か尊いものを与えられるパワーがあるかというと、かなり心もとない。

 

詩とか、美は、きれいな感傷である必要はない。人間の暗部、懊悩、悪魔性、背徳性、エログロなどを含んでいた方が、作品としての深みが増すことは間違いない、と私も思っている。

 

ただ、萩原朔太郎の場合、意図的に、作為的に、純朴で無垢なセンチメンタリズムを否定し、もっと人間の矛盾、葛藤、相克などを目指したが、文学作品として結晶させられなかった(作品として完成させえられなかったこと)は忘れてはならない。

 

もちろん、特筆に値する作品はある。

 

しかし、萩原朔太郎本人が目指した境地には、遠く及ばなかったであろうことは想像に難くない。

 

平たく言えば、失敗作が多すぎるのである。萩原朔太郎は詩人として成功するために必要な何かが欠落していたように思う。というか、詩人となるには、他の要素が溢れすぎていたのかもしれない。

 

萩原朔太郎の詩を読み解く時、その過剰性と欠落性は、重要なポイントとなるだろう。

 

とはいえども、萩原朔太郎が残した文学的功績は無視できない。

 

萩原朔太郎は偉大な先駆者だが、後継者はいまだに現れていない。

 

私は最も評価しているのは、萩原朔太郎の詩ではなく、詩論書だ。

 

詩の原理」という詩論書は、日本文学史において貴重な成果である。

 

私は青春期に、ポーやボードレールの詩論を読んだが、この二人の詩論に迫る、本格的な詩論を書いたのは、またその能力を有していたのは、萩原朔太郎だけではないだろうか。

 

萩原朔太郎自身が目指してなし得なかった境地に達する詩人が、今後、日本に生まれるだろうか。

 

未完成で終わった、萩原朔太郎の詩業の後継者を、今の日本が求めているか、そちらの方が問題かもしれない。

 

萩原朔太郎は日本近代詩の貴重な先駆者だが、彼の回し始めたフィルムは切れたままである。切れたフィルムをつなぎあわせ、時代の無意識を呼び覚ます、本物の詩という映画を作り上げる、本物の詩人は、今後日本に現れるのだろうか。

「青空のゆくえ」~安井かずみ 作詞

今回は安井かずみが作詞した「青空のゆくえ」をご紹介しましょう。

 

青空のゆくえ

 

青空を忘れて

真実の愛さえ

気づかない 都会の

ざわめきに まみれて

 

青空を探しに

あなたと 行きたい

生まれたばかりの 心をみつけに

ある日 あなたとふたりで

すてきな旅に出る

朝つゆに おくられて

そよ風に まもられて

それは どこまでもつづくの

愛の線路づたい

ふたりで 踊りあいながら

いつか青空の心に

であう その時がくるのを信じて

 

青空を探しに

あなたと 行きたい

生まれたばかりの 心をみつけに

ある日 あなたとふたりで

すてきな旅に出る

朝つゆに おくられて

そよ風に まもられて

それは どこまでもつづくの

愛の線路づたい

ふたりで 踊りあいながら

いつか青空の心に

であう その時がくるのを信じて

 

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高村光太郎の詩「苛察」

今回は高村光太郎の「苛察(かさつ)」という詩を取り上げます。

 

苛察

 

大鷲が首をさかしまにして空を見る。
空には飛びちる木の葉も無い。
おれは金網をぢやりんと叩く。
身ぶるひ――さうして
大鷲のくそまじめな巨大な眼が
槍のやうにびゆうと来る。
角毛(つのげ)を立てて俺の眼を見つめるその両眼を、
俺が又小半時じつと見つめてゐたのは、
冬のまひるの人知れぬ心の痛さがさせた業(わざ)だ。
鷲よ、ごめんよと俺は言つた。
この世では、
見る事が苦しいのだ。
見える事が無残なのだ。
観破するのが危険なのだ。
俺達の孤独が凡そ何処から来るのだか、
この冷たい石のてすりなら、
それともあの底の底まで突き抜けた青い空なら知つてゐるだらう。

 

高村光太郎には「猛獣篇」と呼ばれる詩の作品群がある。

 

動物に託して、詩作するという試みは、かなりの成果を上げており、高村光太郎の「智恵子抄」に次ぐ、詩のシリーズの結実と評価していいだろう。

 

この「猛獣篇」の中で最も優れた作品が、今回ご紹介した「苛察」である。

 

私は自身のライフワーク「詩心回帰」の中で「詩心の7つの特性」の一つに「物事の本質を見ぬく洞察眼(直観力)」をあげた。

 

⇒詩心の7つの特性

 

高村光太郎の「苛察」においては、鋭すぎる直観力、つまり、ものが見え過ぎてしまうとという過酷な宿命がテーマの一つとなっている。

 

詩人の「過酷な宿命」は、即ち「詩人の孤独」を意味する。

 

「孤独感」を、高村光太郎は鷲と共有し、それを詩として表出している。

 

高村光太郎の代表作と評価して良い佳作である。