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芙蓉の花~風花未来の詩7

久しぶりに詩を書いてみました。

 

芙蓉の花

 

せなかに

まなざしをかんじたので

ふりむくと

そこには

ふようのはなが

さいていた

 

30歳くらいの時、大病をわずらい、半年以上も入院生活を送ったことがあります。

 

ようやく散歩に出られるようになった暑い日のこと。

 

散歩の途中、ふと背後に気配を感じ、誰かが私を見つめている気がしました。

 

思わず、感じた眼差しの方に目をやると、そこには、一輪の夏芙蓉の花がさいていたのです。

溝口健二監督の映画「雪夫人絵図」を見て、増村保造監督の言葉を想い出した。

溝口健二監督の映画「雪夫人絵図」を見たが、久しぶりの落胆を味わった。

 

「雪夫人絵図」は、1950年10月21日公開。新東宝・瀧村プロ製作、新東宝配給。主演は木暮実千代、上原謙。

 

名匠・溝口健二監督には失礼だが、これは駄作と言わざるを得ない。

 

制作された年が1950年という時代背景を考慮しても、描かれているヒロインの生き方があまりのも古すぎる。

 

例えば、川島雄三監督の「あした来る人」は1955年に制作されているが、新しい女性の生き方を描いている。

 

⇒川島雄三の映画「あした来る人」

 

溝口健二の助監督をつとめていた増村保造監督が「溝口健二の描く女性像は古すぎる」と発言したが、この「雪夫人絵図」を見ると、そう思わざるを得ない。

 

というか、映画監督ならば「雪夫人絵図」のような後ろ向きな映画を世に出してはいけない、とさえ思った。

 

「雨月物語」と「近松物語」は、確かに凄い。しかし、「雪夫人絵図」のような映画を撮ってしまうあたりに、溝口健二監督の弱点(限界)があるのではないだろうか。

 

⇒溝口健二の映画「雨月物語」

 

映画は郷愁や懐古趣味がテーマになってしまってはいけない、と私は思う。

 

主人公は、どんな生き様であれ、軸を屹立させる、自分を貫く姿勢を示してこそ、視聴者に共感されるのだ。

 

増村保造には、溝口健二のような高い美意識はないが、新しい人間像を生み出すために、思い切った実験を数えきれないほど試みている。

 

二人の生きた年代を比較してみよう。

 

溝口健二(1898年5月16日 - 1956年8月24日)

 

増村保造(1924年8月25日 - 1986年11月23日)

 

生きた時代が違い過ぎるのである。

 

溝口健二が新しい時代の新しい生き方をする女性を描き切れなかったのは、溝口が描出したかったが、まさに「古い女性」だからだ。

 

しかし、その観点から見ても「雨月物語」と「近松物語」には、危機迫る女性像が鮮明に映し出されていて、時代を超えた人間美と様式美を獲得しているのは凄い。

映画「祇園囃子」は小暮美千代が神的なまでの抒情美を奏でている。

溝口健二監督の映画「祇園囃子」を初めて鑑賞した。

 

「祇園囃子」(ぎおんばやし)は、1953年に公開された日本映画。

 

理屈は不要である。主演の小暮美千代が素晴らしい。哀しき気品を全身から匂い立つようだ。

 

若い若尾文子がかすむほどの美しさを、小暮美千代から感じるとは、思いもしなかった。

 

名匠として評価の高い溝口健二監督だが、私はそれほど見ていない。

 

「雨月物語」「近松物語」には感服したが、その他の作品で、特別記憶に残っている者はなかった。

 

今回「祇園囃子」と見て、これからは少しずつ、溝口作品を鑑賞してゆこうと思った。

 

溝口監督が描き出した美の世界は、そのほとんどが今の日本では消滅してしまっただろう。

 

「祇園囃子」の世界に帰る術はない。また帰る必要もないかもしれない。

 

ただ、この映画の中に息づく、確かな美意識、情感などを失ってはならない、日本人として。

 

この美意識、情感などを、これからの暮らしに活かしてゆこうと、真剣に思うのである。