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「男はつらいよ お帰り寅さん」のテーマは「時」である。

山田洋次監督の映画「男はつらいよ お帰り寅さん」を見た。

 

映画「男はつらいよ お帰り寅さん」はこちらで視聴可能です

 

泣けて、泣けて、仕方がない。

 

どうして、涙が出てくるのだろう。

 

それは、きっと「時」のせいだ。

 

この映画は、現在と過去が交互に描かれる。同じ役者の若い時と、現在を映し出せるのは、長い歴史を持つ「男はつらいよ」シリーズだからである。

 

吉岡秀隆後藤久美子が、いい味を出していた。

 

吉岡秀隆の演技力は定評があるところだが、後藤久美子は、おばさんと呼ばれる年齢になっても、なお美しく、だがやはり「年を取った」という感じは避けられず、それだけで、胸に何かが込み上げてくる。

 

この映画のテーマは「時」だ。

 

「時」は、何と残酷なのだろう。誰もが「若い頃は良かった」と思う。

 

だが、現実は、過去には帰れないし、「時」は残酷に今も流れ続けている。

 

この映画「男はつらいよ お帰り寅さん」では、過ぎ去った「愛しき日々」がこれでもかとばかりに映し出される。

 

私は「寅さんシリーズ」は全作品を見ているが、ひょっとすると、今回のこの「男はつらいよ お帰り寅さん」が、最高傑作ではないか、とさえ思った。

 

アマゾンのレビューを読んだが、マニアが多いせいか、辛口のコメントが少なくなかった。

 

後藤久美子の棒読みセリフ、吉岡秀隆の目をむく癖などを批判している人がいたが、それらも、私にとっては「味」だった。

 

冒頭の桑田佳祐は、客寄せに使ったのだろうか。これだけは違和感を覚えた。まあ、それさえも、許容範囲内だと甘く採点したい。

仲代達也が主演した「大菩薩峠」は、時代劇映画の最高峰レベル。

これは傑作である。日本の映画史上に残る名作である。その映画とは、岡本喜八が監督した「大菩薩峠」だ。

 

主演の仲代達也が圧倒的な演技を示している。

 

「大菩薩峠」(だいぼさつとうげ)は、1966年の日本映画。原作は中里介山の小説「大菩薩峠(01 甲源一刀流の巻 - 03 壬生と島原の巻 )」。

 

ファーストシーンから、画面に吸い寄せられた。モノクロームの深みのある黒色。そして際立つ白色。

 

白と黒、即ち、光と影のぶつかり合いが緊張感を生み、その緊張感が人間の心理の内奥を浮かび上がらせる。

 

映像美。ほとんど忘れかけていた、この映像美という言葉を想い出した。

 

日本の時代劇映画の十指に数えられるのではないだろうか。

 

この映画の魅力の一つに音楽がある。佐藤勝が音楽を担当。佐藤勝は、黒澤映画の音楽を数多く担当している。

 

主演の仲代達也も素晴らしいが、三船敏郎の太刀まわりは神がかっている。

 

この二人がそろって出演している映画作品は多いが、仲代達也の方が主役という映画は少ない。

 

妖気ただよう机竜之介を演じられるのは、仲代達也か市川雷蔵しかいないと思われるが、仲代達也の机竜之介は迫力という点では市川雷蔵をしのいでいると感じられた。

萩原朔太郎の詩「竹」~詩集「月に吠える」より

今回は萩原朔太郎の「」というをご紹介する。

 

 

ますぐなるもの地面に生え、

するどき青きもの地面に生え、

凍れる冬をつらぬきて、

そのみどり葉光る朝の空路に、

なみだたれ、

なみだをたれ、

いまはや懺悔をはれる肩の上より、

けぶれる竹の根はひろごり、

するどき青きもの地面に生え。

 

 

光る地面に竹が生え、

青竹が生え、

地下には竹の根が生え、

根がしだいにほそらみ、

根の先より繊毛が生え、

かすかにけぶる繊毛が生え、

かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、

地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、

凍れる節節りんりんと、

青空のもとに竹が生え、

竹、竹、竹が生え。

 

 

みよすべての罪はしるされたり、

されどすべては我にあらざりき、

まことにわれに現はれしは、

かげなき青き炎の幻影のみ、

雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、

ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、

すべては青きほのほの幻影のみ。

 

萩原朔太郎の生涯について

 

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。

 

1917年(大正6年)32歳で、第一詩集『月に吠える』を感情詩社と白日社共刊により自費出版で刊行。

 

内容・形式共に従来の詩の概念を破り、口語象徴詩・叙情詩の新領域を開拓し、詩壇に確固たる地位を確立。

 

森鷗外の絶賛を受けるなど、一躍詩壇の寵児となり、5月『文章世界』誌上において神秘主義・象徴主義論のきっかけをつくる論文を発表。(引用元:ウィキペディア)。

 

萩原朔太郎の生涯について読んでいると、以下の一点に行きついた。

 

「人たらし」

 

文学的交流というのか、さまざまな著名な文学者と萩原朔太郎は交流している。交流し過ぎなくらいに……。

 

室生犀星、山村暮鳥、森鷗外、若山牧水、谷崎潤一郎、芥川龍之介、三好達治、堀辰雄、梶井基次郎などなど、豪華ともいえる、優れた文学者と親交していることが、まずもって凄い。

 

自分では「孤独癖」があるようなことを言っているようだが、実は「人たらし」だったと思われる。

 

だから、常に文学的な環境は整っていたと言える。

 

「竹」は、萩原朔太郎が生み出した、最高峰の未完成交響詩

 

私は密かに、萩原朔太郎は一流の詩人というより、優れた散文家だと思っている。

 

作家と呼ぶには作品が完成の域に達しておらず、雑文家というには作品はあまりにも文学的な雰囲気をもち、萩原朔太郎自身は崇高な理想に燃えていたから。

 

萩原朔太郎の特徴は、その文学的な活動に「完成された境地」が見えないことだ。

 

「竹」は、詩らしく書かれてはいるが、実は極めて概念的であり、美意識の高さ、思想の深さ、ともに物足りない。作品として結晶していない。もちろん、超一流の文学者(芸術家)と比べてだが。

 

作品を完成させるための何かが欠けているのだ。あるいは、過剰な何かが、完成を妨げていたのかもしれない。

 

萩原朔太郎ほど崇高な理想を抱いていなくても、完成した純度の高い詩を書いた詩人はいるのだから……。

 

繰り返しになるが、萩原朔太郎本人とその詩作品は、文学的な雰囲気にあふれている。

 

だが、萩原朔太郎が文学者として一つの仕事を成就したとは思えないし、詩もすべて未完成で終わっている気がしてならない。

 

私としては「竹」を、萩原朔太郎の最高傑作、いや、最も優れた未完成交響詩と呼びたい。

 

シューベルトの未完成交響曲が、彼の最高峰かもしれないように、完成しなかった作品が、作者の頂点であってもかまわないと思うから。

 

萩原朔太郎は「竹」によって、或る文学的なるもの、或る芸術的なるものを表現しようとした。

 

その志は高い。崇高な精神と美への果敢な挑戦さえも感じられる。

 

だがしかし、詩作品として、完成してはいないのだ。何度も繰り返して申し訳ないが……。

 

その意味から、萩原朔太郎は生涯、未完成の作品を生み出し続けた、稀有な作家だと言えるかもしれない。