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「風花未来(かざはなみらい)」という名前の意味

風花未来かざはなみらい)」って、変わった名前ですね、とよく言われます(苦笑)。名前がきれいすぎるのか、女性と間違えられることも少なくありません。

 

実際は、男性ですが、まあ、実はそんなことは関係ないのですね。

 

この記事では、なぜハンドルネームを「風花未来」としたのかに絞って、ご説明します。

 

ふつうの自己紹介はこちらへ⇒風花未来のプロフィール

 

風花未来の原風景としての「風花」。「風花」の辞書的な意味。

 

かなり前のことですが、「風花」という言葉をこのブログで取り上げたことがあります。

 

「風花」は実に美しい日本語ですが、その意味を勘違いしている人も少なくありません。

 

「風花」の「花」は、植物の花ではないのです。

 

「風花」の「花」は、「雪」を指します。

 

三省堂の大辞林は「風花」を以下のように説明しています。

 

 

晴天にちらつく小雪片。降雪地から風に吹かれて飛来してくる小雪。

 

 

風の強い晴天の日に、風に運ばれてくる雪のことをを「風花」と呼ぶのです。

 

私は静岡県の浜松市の出身ですが、子供の頃、何回か「風花」を見たことがあります。

 

真っ青に澄んだ空に、雪が舞っている様は、はかなくも美しい光景です。

 

幼い時に、この「風花」を見たことが私の一生に大きな影響を与えていると、最近になって気づきました。

 

とにかく、「風花」という言葉が、理由もわからずに好きなのです。

 

現在の私は「風花」という言葉に、さらなる2つ意味を込めて活動しているのです。

 

「風花未来」という名前に込められた意味

 

私のハンドルネームの「風花未来」には次の意味が込められています。

 

風花未来の「風」は幸運の風を呼び込むの「風」、「花」は自分らしい花を咲かせるの「花」、「未来」は「みんなで力を合わせて『希望の未来』をつくってゆきましょう」の「未来」です。

 

以上の意味でしている風花未来の活動を「詩心回帰」と呼んでいます。

 

⇒詩心回帰について知りたい人はこちらへ

 

この「詩心回帰」という活動においては「風花」は「詩心」そのものを指す言葉となります。

 

また、「風花」を実際の風に運ばれてくる雪がそうであるように「淡く麗しきものの象徴」としてとらえています。

 

「あはくうるわしきもの」の存在を知るとは、即ち「もののあはれ」知ることです。

 

かよわく、はかなく、そして美しいものを大切にする心がなければ、豊かな暮らしはかなえられないでしょう。

 

かよわく、はかなく、美しいもの、その代表の一つが「詩(詩心)」であることは言うまでもありません。

 

ただ、勘違いしてほしくないのは「詩心」は、「もののあはれ」を知るナイーブな心だけを指すのではないこと。

 

「詩心」には7つの美点がありますので、以下のページでご確認ください。

 

⇒「詩心」の7つの特性

 

風花未来は、あなたです。主人公は、あなたなのです。

 

「風花未来って、誰? どんな人?」と思っている人が多いと思います。

 

YouTubeでは顔を出していませんね。

 

では、結論を言ってしまいますね。

 

風花未来は、あなた」「風花未来は、あなた自身」なのです。

 

風花未来という人物は鏡、あなたを映す鏡です。

 

だから私は、風花未来を独自のキャラクターとして、強く打ち出し、ブランディングはしていません。

 

音声動画でも、風花未来の意味について、語ってみました。

 

⇒【動画】風花未来って、誰?

 

上のリンク先の動画の前半で、語っておりますので、ご確認ください。

八木重吉の詩「鞠とぶりきの独楽」と高村光太郎の推薦文。

八木重吉の未刊詩篇の中にも、捨てがたい詩があります。特に以下の「鞠とぶりきの独楽」は、日本近代詩の貴重な成果であると言いたいくらいの傑作だと私は評価しています。

 

【動画】朗読と感想)八木重吉の詩「鞠とぶりきの独楽」と高村光太郎の推薦文

 

「鞠」は「まり」、「独楽」は「こま」と読みます。回して遊ぶ、あの玩具の「独楽(こま)」です。

 

全文は非常に長いので、特に優れたところをピックアップしてみました。

 

では、「鞠とぶりきの独楽」の一部を引用いたします。

 

 

鞠とぶりきの独楽

 

てくてくと

こどものほうへもどってゆこう

 

こどもがよくて

おとながわるいことは

まりをつけばよくわかる

 

あかんぼが

あん あん

あん あん

ないているのと

 

まりが

ぽく ぽく ぽく ぽくつかれているのと

 

火がもえてるのと

川がながれてるのと

木がはえてるのと

あんまりちがわないとおもうよ

 

ぽくぽくひとりでついていた

 

わたしのまりを

ひょいと

あなたになげたくなるように

ひょいと

あなたがかえしてくれるように

そんなふうになんでもいったらなあ

 

ぽくぽく

ぽくぽく

まりを ついてると

にがい にがい いままでのことが

ぽくぽく

ぽくぽく

むすびめが ほぐされて

花がさいたようにみえてくる

 

かんしんしようったって

なかなか

ゆう焼のうつくしさはわかりきらない

わかったっていいきれない

ぽくぽく

ぽくぽく

まりをついてるとよくわかる

 

まりを

ぽくぽくつくきもちで

ごはんを たべたい

 

ぽく ぽく

ぽく ぽく

まりつきをやるきもちで

あのひとたちにものをいいたい

 

まりと

あかんぼと

どっちも くりくりしてる

つかまえ どこも ないようだ

はじめも おわりも ないようだ

どっちも

ぷくぷく だ

 

いかがでしょうか?

 

「鞠とぶりきの独楽」は彌生書房から出ていた「定本 八木重吉詩集」で、その全文を読むことができます。

 

その「定本 八木重吉詩集」の帯に書かれた高村光太郎の推薦文を引用しましょう。

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何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

西行法師が伊勢神宮に参拝した時に歌ったとされる短歌が素晴らしい。

 

何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

 

【動画】朗読と感想)西行「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

 

「素晴らしい」と思わず単純な言葉で賛美してしまったのは、おそらくは、この歌には難しい解釈は必要がないと私が直感したからでしょう。

 

哲学用語も、宗教用語も、学術用語も、必要ありません。

 

高尚な解釈は、むしろ、西行に失礼であると私は真剣に思っているくらいです。

 

これほどシンプルに、人の胸を打つ歌は少ない。

 

シンプル・イズ・ベストという言葉がありますが、単純なものは、強く、美しい。 この記事の続きを読む

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