「苺」という希望~風花未来の詩38

風花未来の今日の詩は「『苺』という希望」です。

 

「苺」という希望

 

苺を一口食べたら

体がピクッと反応した

 

おいしかったというより

体が正直に

喜びの声を上げたという感じ

 

苺は滅多に食べない

今は抗がん剤の副作用で

口の中がかわくので

苺を食べたのだと思う

苺を一口食べたら

渇きが癒されただけでなく

副作用でできた

蕁麻疹の不快感からも

いっしゅんのうちに解放された

 

でも なぜ 苺なのか

他にも果物はあるだろうに

 

それは

わからない

 

苺のことを私は

あまり知らない

苺のことは

わからない

 

そもそも

イチゴを「苺」と書いたのも

これが初めてだ

 

イチゴだと

「一語」かもしれないと

想ったから

「苺」と書いてみた

 

「苺」っていう漢字は

不思議だね

 

「苺」って

「くさかんむり」に

「母」って書くのには

意味があるらしいのだけれど

辞典の説明では

よくわからなかった

 

果実だと思って食べている苺は

実は花の一部で

苺についているゴマのような

粒粒が

苺の実なのだと

生物学的にはそうなるらしい

それも何だか

わかったような

わからないような……

 

それより何よりも

苺の花言葉が気になる

 

「あなたは私を喜ばせる」

 

これが苺の花言葉って知って

久しぶりに笑った

 

本当だよね

 

私は苺を食べて喜んだ

 

最近

本当のことって

余りにも少ないって感じてたけど

 

苺が私に起こしてくれた

とてつもなく巨大な事件は

まさに「本当」だった

 

私を喜ばせたのは

苺の花なのか

苺の実なのか

それはどうでもいい

 

とにかく

苺を食べて

体がピクッと反応して

喜びの声を上げた

それが

今の私にとって

最大級に尊い

 

これからは

口がかわいたら

まよわず苺

苺を食べよう

これって

素晴らしい希望なんだと想う

 

この希望は

本当だ

カテゴリー
タグ

冬の花~風花未来の詩37

風花未来の今日の詩は「冬の花」です。

 

冬の花

 

真冬の夜の湖を

情け容赦なく渡ってゆく風

 

幾重にも幾重にも

重ね重ねて

打ち寄せ来る

夜のさざ波のように

私の哀しみは

果てしない

 

波間にふと浮かんだ

真っ白な一輪の花

 

冬に咲く花は

花全体のわずか1%だという

 

これほど厳しい季節を選んで

あえて咲く花の心を想う

 

心の中に咲く花が

私の痛みを

微かにやわらげてくれる

 

幾重にも幾重にも

重ね重ねて

打ち寄せ来る

夜のさざ波の波間に

一輪の花が咲いている

 

真冬に咲く花の心を想う

心の中に咲く花が

ただただ

愛おしい

カテゴリー
タグ

映画「浮雲」は「過大評価された駄作であって観る価値なし」とあえて断言したい理由。

成瀬巳喜男の映画でどうしても最後まで見られなかった作品がある、それが今回鑑賞した「浮雲」である。

 

最初に申し上げておくが、この映画「浮雲」は見てはいけない作品である。

 

観ると、害悪が生じる、生きる上でマイナスにしかならない映画だと、あえて強く断言しておく。

 

私は映画が心底好きだ。だから、B級・C級とか関係なしに、何でも観てきた。

 

しかし、「浮雲」だけは駄目だ。

 

「浮雲」は1955年に公開された日本映画。監督は名匠として高く評価される成瀬巳喜男。

 

以下の受賞歴を見ると、どれほど高くこの「浮雲」が評価されたかが伺われる。

 

映画「浮雲」の受賞歴

 

第29回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、監督賞、主演女優賞、主演男優賞
1955年度ブルーリボン賞作品賞
第10回毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞、録音賞、女優主演賞

 

私は日本映画をこよなく愛し、名作と呼ばれる作品はほとんど鑑賞してきた。

 

しかし、この「浮雲」は駄作である。

 

登場人物の生き方が、最悪だ。運命に翻弄されて滅びることは否定しない。しかし、流され過ぎだ。運命と戦う姿勢があまりに脆弱すぎる。

 

こんな映画を延々と124分も観せられたら、健康な人間でも病んでしまうし、病者は死ぬかもしれない、とさえ思う。

 

日本の作家の最もダメダメなところを集結させたような、最悪な映画となってしまった。

 

監督の手腕、出演者の演技力は申し分ない。 成瀬巳喜男監督は、自身の優れた美意識と演出力を凝縮しているかのようだし、高峰秀子と森雅之の表現力は、極めてレベルが高い。

 

だが、肝心なテーマがない。ただ、運命に翻弄されて滅びるだけの男女が、実に丁寧にダラダラと描かれている。

 

繰り返すが、評価が高いから一度観てやろう、という人は、見る必要はない。

 

だが、どうしても、この「浮雲」をご自分の眼で確かめたいという人は、以下から鑑賞できることはできる。

 

こちらから映画「浮雲」の鑑賞は可能です

 

これほど映画好きの私でも、ようやく、5回目くらいの挑戦で、最後まで観られたに過ぎない。

 

私は余命3ヶ月を宣告されている。こんな駄作にかかわっている時間はないのである。

 

映画は、権威主義でも商業主義でも衰弱する。

 

黒澤明が木下恵介に対し、思想がない、確固たる主張がない、というふうな批判をしたと聞くが、成瀬巳喜男も、運命に流され、押し殺される人間を、まるでそれを肯定するかのように自らの美意識を総動員して描く愚かさに気づくべきだったのではないか。

 

運命を切り開くのは誰にとっても困難だが、果敢に挑戦する人間を描く映画を私は観たい。

 

田中徳三監督は、時代劇だが、市川雷蔵が主演した映画「大殺陣 雄呂血」で、運命に抗するために200人以上の敵を斬る武士を描いた。

 

人間とは、そもそも、運命に負けて滅びるのではなく、運命を切り開くために生きるべきではないのか。

 

それに比べ、自虐的な生き方に自ら酔うような登場人物しか描いていない、この「浮雲」なんぞ、絶対に観るべきではない。百害あって一利なしである。

 

私は、今後も、いかに表現力は高くとも、自虐映画は、絶対に認めない。