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堺雅人と真中瞳が共演した映画「ココニイルコト」の感想

ココニイルコト」という映画をご存じだろうか。以前はビデオレンタル店には置いてあったのだが、今はどうなろうか。

 

急激に増えている、インターネットの動画配信サービスでも、この「ココニイルコト」は見かけない。

 

今はかなり高い人気をキープしている堺雅人が、まだほとんど無名だった頃の作品だ。主演女優も、この映画がデビュー作という真中瞳というレアさがたまらない。

 

2001年公開。監督は長澤雅彦

 

傷心のOLが、奇妙なとぼけた味の青年と出逢い、次第に再生していく様を、ほんわかとした雰囲気で描いた、ちょっとユニークな恋愛映画。

 

こういう映画で、ひと息つくのもいいかもしれない。

 

何か飛びぬけたものとかはないけども、まったりと進んでゆくストーリーも、なかなか味がある。

 

全体に静かで、間が少しズレていて、ホッとできる。

 

素人っぽいヒロイン(真中瞳)も好演しているし、相手役の関西弁の男(堺雅人)もいい。

 

売らなければいけない、賞を獲らなければとかいう気負いのない、B級に徹した作り方は、好感が持てた。

 

この映画「ココニイルコト」を見て、純愛ブームとか、流行とか、最先端を走らない、走るつもりもない世界にも、間違いなく存在意義があるという当たり前のことを再認識できた。

 

いやいや、理屈ぬきに、リラックスして、まったりとした時間が楽しめばいいのだろう。

 

とにかく、気分を楽にさせてくれる、見ていると肩の力が自然とぬける貴重な映画だ。

「施行」の正しい読み方は?

「施行」を「政策や法令などを実行すること」の意味で使う場合には、どのように読んだらいいのでしょうか?

 

正解は以下のとおりです。

 

 

「しこう」と読むのが正解。「せこう」と読む慣用もありますが、本来は「しこう」。

 

 

「施行」は「せこう」と読んでしまいがちです。たぶん「工事する」意味の「施工(せこう)」と混同してしまうのでしょう。

 

「施行(しこう)」を大辞林は以下のように説明しています。

 

 

し こう -かう【施行】

( 名 ) スル

1)公布された法令の効力を発生させること。法律は,施行時期の定めのない時は,公布の日より起算して満20日を経て施行される。せこう

2)実際に行うこと。しぎょう。 「君家の為を思ひて諸務を-し/日本開化小史 卯吉」

 

 

「施行」は「せこう」とも読まれますが、1の意味で使うのが妥当なようで、このあたりが悩ましい。

 

実は「施行」には「しこう」「せこう」の他にも、2つの読み方があるのです。

 

「施行(しぎょう)」。これは「施行(しこう)」の2と同じ意味。

 

「施行(せぎょう)」。これは「施行(しこう)」の1と同じ意味。また「仏法の善行を積むため僧侶や貧しい人々に物を施し与えること」の意味でも使います。

 

現実的には「施行(せぎょう)」「施行(しぎょう)は使わないでしょう。

 

まとめますと、「施行」には「しこう」「せこう」「しぎょう」「せぎょう」の4つの読み方がありますが、日常的には「施行」は「しこう」と読むのが最も一般的だと言えます。

「マディソン郡の橋」の小説と映画を比較レビューしてみました。

映画の「マディソン郡の橋」は、評価が大きく分かれているという話を、あるゼミで聴いたことがあります。小説の方は「ハーレクイン・ ロマンス」の水準を超えていないと断罪する人もいるらしい。

 

 

小説も映画も、そんなに悪い作品ではないですよ。純文学作品でもないし、芸術祭参加作品でもありません。

 

しかし、低劣な娯楽作品かというと、そうではなく、読んだ後に、見終った後に、何かが残る作品、それが「マディソン郡の橋」という小説と映画だと私は素直に感じています。

 

そんなわけで、大流行したにもかかわらず、あるいは大流行したために、世間的な評価が低い「マディソン郡の橋」について、今回はフォローアップしてみたいと思うのです。

 

●小説「マディソン郡の橋」の評価

 

まずは原作の良さから。1992年の作品。著者はロバート・ジェームズ・ウォラー。実話を小説化した作品だと思っている人が多いが、実は全くのフィクション。

 

1)まず舞台設定がいい。マディソン郡のローズマンブリッジという場所は、なかなか思いつかない。舞台設定で相当に得をしている作品。

 

2)時代の設定がいい。時代は確か60年代だと思う。ジッポのライターとは3輪のトラックなどのディテールがいい。男のほうはカーボーイの生き残りということを自分で言っていた。

 

3)時間の限定。二人が出逢って別れるのは、たった四日間という時間の限定もすばらしい。だらだらと、ひっついたり別れたりするのを見せられるのはたまったものではない。

 

4)二人の年齢と職業の設定。カメラマンと農婦、しかも二人はかなりの年齢に達している。だから、ニュアンスが余計に微妙になる。

 

5)飾り気のない文体も、好感が持てた。

 

まだ原作の小説を読んでない方は、ぜひオススメしたい。誌面から、豊かな詩情が薫りたってくるのを感じるに違いない。これは小説というより「詩」。

 

以前にはこんな記事を書いたことがあります⇒小説「マディソン郡の橋」のロバート・キンケイドの言葉

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