いわさきちひろの言葉「自分の方から人を愛していける人間になる」

誕生日などに本をプレゼントする習慣が、以前にはあったように感じます。

 

二十代の頃に本を贈られた想い出は、殺風景な私の人生に貴重な彩りを添えてくれていることは確かです。

 

いわさきちひろの絵本は、懐かしいような哀しいような想い出となっていて、消えることはありません。

 

もちろん絵も素晴らしいのですが、いわさきちひの言葉も、私の記憶の襞に鮮明に刻まれています。

 

忘れられない、いわさきちひろの言葉を引用してみましょう。

 

大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。

 

この言葉に出逢ったのは、私が25歳くらいの時。自宅の近所に、絵本や詩をたくさん置いている本屋さんがあり、そこに私は毎日通っていたのです。

 

それほど売れもしない、詩集や絵本が、本棚のいちばん目立つ場所に置かれている貴重な書店でした。

 

そこで見つけたのが、いわさきちひろの一冊の絵本。その「あとがき」に書かれていたのが、上の引用した言葉です。

 

愛について書かれた言葉は数多くありますが、いわさきちひろの言葉は、私にとって特別ものになっています。

 

大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。

 

前向きに生きるとは、傷つくことだとも言えるでしょう。何もしなければ、傷つくこともありません。人を愛し、行動を起こした時に、自分が愛した分だけ愛されることは稀(まれ)です。

 

いわさきちひろは、決して、もてはやされた売れっ子作家ではありませんでした。自分が良かれと思って頑張っていても、信じていた仲間から足を引っ張られたこともあるそうです。

 

ところが、いわさきちひろが、偉いのは、「自分の方から愛してゆける人間になる」、それが「大人というものだ」と言ったところです。

 

ふつうの人は、愛されることを強く求め、自分から愛そうとはしないことの方が多いでしょう。傷つくのが怖いのか、なかなか自分の愛を表現できません。

 

いわさきちひろが求め、表現したのは、男女の愛情とかよりも、もっと幅広い愛であって、命そのものへの愛です。そうした純粋な無償の愛を抱いて生きようとしても、現実社会では、素直に受け入れられるわけではありません。

 

傷ついても、裏切られても、野の花が風雨にたえて咲くように、いわさきちひろは、自分から愛するという勇気を持ち続けた人だと、絵本を見ていて強く感じるのです。

 

引っ越しを繰り返すうちに、いわさきちひろの絵本は、どこかに消えてしまいました。もう一度、買い求めるか、心の中に鮮やかに浮かび上がる絵を静かに楽しんでいるべきか、悩んでいるところです。

デットマール・クラマーさんの名言とエピソード

本当の優しさって、何だろう」と、1年のうち、何度か自問自答します。

 

そうした時に、必ず想い浮かぶ人物がいます。

 

それは、デッドマール・クラマーさんです。

 

デットマール・クラマーは「日本サッカーの父」

 

彼は東京オリンピックに出場する、日本のサッカー代表を強くするために、ドイツから招かれたコーチです。

 

彼のおかげで、サッカー日本代表は、急激に強くなり、東京五輪でベスト8入りをはたし、次のオリンピック、メキシコ大会では見事、銅メダルに輝きます。

 

日本に本格的なサッカーを最初に植え付けたことから「日本サッカーの父」と呼ばれています。

 

クラマー

60年の日本代表欧州遠征でデュッセルドルフのスポーツ学校で談笑するクラマー氏(左)と川淵氏

 

クラマーさんは、名言をたくさん残した人でもあります。

 

おのれの役割をまっとうした人間ほど美しいものはない

 

この言葉は、メキシコで3位決定戦を終えた日本チームをクラマーさんが見て、発した言葉だったと思います。選手全員が全力を出し尽くし、疲れ果て、倒れ込んでいたそうです。

 

サッカーに密着して解説するなら、「選手1人ひとりが各ポジションという役割を全力で果たした姿は美しい」ということになります。

 

しかし、現在では、しばしば、自分の好きなことに打ち込んでいる人たちを、賞賛する時の言葉として使われているんですね。

 

かなり前のことですが、正月の高校サッカーの放送中に、このクラマーさんの言葉は紹介されたのですが、なんて素晴らしい言葉なんだろうと感じ入りました。

 

現実はどうでしょう。

 

ほとんどの人が、自分の役割さえ見つけられないで悩んでいます。

 

役割とは「運命」という言葉に置き換えても良いでしょう。

 

自分の天職を見つけられた人は幸運としかいいようがありません。

 

急に自分の宿命のような職が見つかることは稀です。

 

だから、まずは、何か、今、熱中できるものを見つけ、没頭することから私も始めようと思っています。

 

東京でサッカーライターの修行をしている時、1人のサッカーマニアの方が、古い雑誌からコピーをわざわざとってくれて、クラマーさんの名言集をつくってくれ、それを贈ってくれました。

 

そのファイルは、今でも、私の宝物です。

 

そのクラマーさんが、90歳でお亡くなりになりました。

 

クラマーさんから学ぶ「本当の優しさ」

 

クラマーさんというコーチは怖ろしく厳しい人でした。あの世界的なストライカーである釜本選手も震え上がったほどの鬼コーチです。

 

練習試合でふがいないプレーしかできなかった選手たちに「君たちに大和魂はあるのか」と叱咤という話は有名です。

 

しかし、一方で、こんなエピソードがあります。

 

深夜、選手たちが寝静まった頃、クラマーさんは部屋に入ってきて、選手1人ひとりの毛布をかけなおして行ったそうです。

 

そんなことまでしてくれるコーチって、いるでしょうか。

 

もう、おわかりですよね。

 

クラマーさんの厳しさは、深い愛情に裏打ちされたもの、つまり、本当の優しさだったのです。

 

ホテルを予約したサッカー協会に断りをいれ、選手と同じ宿舎に寝泊まりし、味噌汁と納豆の朝食を選手とともに食べたという話を知った時、本当に愛情あふれた人なのだなあと感動しました。

 

素晴らしい、独特の指導をする人に、マリノ・マリーニという偉大な彫刻家がいます。

 

マリノ・マリーニの指導法に、ビックリ

 

クラマーさん、逝く!

 

日本サッカーの父」と呼ばれ、多くの日本のサッカー人から敬愛されてきた、デットマール・クラマーは、2015年9月17日に亡くなられました。享年90歳でした。

 

デットマール・クラマーさんは、とてつもなく弱かったサッカーの日本代表チームを、東京五輪でベスト8に導きました。その4年後、メキシコ五輪で日本が銅メダルを獲得したことはあまりにも有名です。

 

世界的なストライカーである釜本邦茂と快速ウイングの杉山隆一の名コンビ(日本代表の得点パターン)は、デットマール・クラマーさんが生み出したと言われています。

 

私はサッカー選手ではありませんが、クラマーさんに多大な影響を受けました。

 

どうしてか?

 

それは、これほど、発する言葉が魅力に満ちていた人はいなかったからです。極めて優秀なサッカーの指導者ですが、同時に、哲学者であり、思想家であり、人生の父のような大きな人間だったのです。

 

例えば、以下のようなクラマーさんの言葉があります。

 

サッカーは思いやりだよ。パスを受ける人の立場になって、受けやすいボールを出すことから始まる。

 

いかがでしょうか? 人生にも、そのまま当てはまりますよね。

 

また、こんな名言もありますよ。

 

ボールコントロールは、次の部屋に入る鍵だ。この鍵さえあれば、サッカーというゲームは、何でもできる。

 

クラマーさんは、日本代表のコーチに就任した時、選手に基礎を徹底的に教え込んだそうです。基本中の基本である、インサイドキックから指導したというから驚きです。

 

サッカーでは手が使えませんから、足で自由にボールをコントロールしなければいけません。これには訓練が必要であり、気持ちとしては「ボールを大切にすること」「ボールをていねいに扱うこと」が大事となります。

 

言葉も同じですね。言葉を大切にし、ていねいに扱うようになると、豊かな表現の世界という次の扉が開かれるのですね。

 

クラマーさんの言葉が輝いているのは、クラマーさんの人間力が頭抜けていたからだと思います。

 

クラマーさんは、生涯、サッカーにその愛を捧げました。そして、クラマーさんほど深い人間愛を抱いて生きた人を少ないのではないでしょうか。

 

私はクラマーさんと逢ったことも、話したこともありません。しかし、クラマーさんの言葉には長く親しんできたので、クラマーさんという人がどんな人なのかはわかります。

 

あふれんばかりの愛情を惜しみなくサッカーに捧げ尽した、クラマーさんから、私はこれらかも影響を受け続けると確信しているところです。

 

クラマーさんが愛した言葉

 

最後に、クラマーさんが、自分の部屋に貼っていたという言葉をご紹介しましょう。松本育夫氏は、ゲーテかシラーの詩の写しではないかと語っておられます。

 

ものを見るのは目ではなく

心で見ろ

ものを聴くのは耳ではなく

心で聴け

目それ自体は物を見るだけであり

耳それ自体は物音を聞くだけである

 

この言葉も私は好きで、時々思い出しては、自分を戒めています。

 

この言葉は「心眼(しんがん)」に通じると思うのですね。「心眼」も実に素晴らしい言葉ですが、多くの日本人はこの尊い言葉を忘れてしまっているのではないでしょうか。

 

よろしければ、以下の「心眼」に関する記事もお読みくださいm(__)m

 

「心眼」について

 

また「目は心の窓」という言葉にもつながります。

 

「目は心の窓」

 

さらには「涼しげな眼差し」は死語になりつつありますが、大丈夫でしょうか。

 

「涼しげな眼差し」

「さ入れ表現」と「二重敬語」に注意。

「言響(こだま)プロジェクト」の「言響letter」でお送りした「文章の基本ルール」について、このカテゴリでは解説しています。

今回のテーマは、「さ入れ表現」と「二重敬語」です。

 

文章作法で難しいのが、敬語です。中でも、「文章の書き方」を学んだことがない人が陥りやすいのが、「さ入れ表現」と「二重敬語」。

 

以下、「さ入れ表現」と、修正後の例をあげてみます。

 

「行かせていただく」→「行かせていただく」

 

「歌わせていただく」→「歌わせていただく」

 

「送らせていたたく」→「送らせていただく」

 

また、以下では「二重敬語」と、修正後の例をあげてみましょう。

 

「ご覧になられました」→「ご覧になりました」

 

「お見えになられました」→「お見えになりました」

 

「おっしゃられました」→「おっしゃいました」

 

いかがでしょうか。丁寧に語ろうとして、二重敬語になってしまうと、「馬鹿丁寧」というか、「慇懃無礼」な感じになって、逆に失礼となりますので、ご注意ください。