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白洲次郎(しらすじろう)は、戦後日本の復興に貢献した、毅然たる日本人として、今もな賞賛されています。
1945年に日本は敗戦しました。日本は長崎と広島に原子爆弾を投下され、無条件降伏にまで追い込まれてしまったのです。
刀折れ、矢尽きた状態などという言葉では表現しきれないくらい、日本人はボロボロになっていたことは想像に難くありません。
問題は日本の進むべき道です。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の統制下におかれ、新憲法もGHQの主導でつくられます。経済もまたGHQによる統制経済でした。
当時のマッカーサー元帥に対しても、物怖じしない言動をとり、GHQは「従順ならざる唯一の日本人」と白洲のことを記録したと伝えられています。
白洲次郎が遺した名言として印象深いのが、以下の言葉です。
我々は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない。
白洲は戦後に経済復興に貢献しますが、経済的な自立だけでなく、精神的な自立を強く主張したのだと思います。
こんなことも、白洲は語っています。
私は、「戦後」というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない。我々が現在高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、我々のほんとのものになっているとは思わない。それが本当に心の底から自分のものになった時において、はじめて「戦後」は終わったと自己満足してもよかろう。
この白洲の言葉を、重く受け止める必要があるのではないでしょうか。その意味から、「戦後」はまだ完全には終わっていないとも言えるかもしれません。
白洲次郎の言葉を意訳し、現代に生かしてゆくために、私は白洲の主張を「自立」というキーワードで表現したいと思います。
対アメリカだけでなく、人間が、経済的にも、精神的にも、自立することは、簡単なことではありません。
最近、新聞やテレビに興味がなくなったのは、マスコミは、読者や視聴者たちを、知的奴隷と見下している節があり、それは今もなお続いていて、読者といっしょに豊かな精神的自立への道を歩もうなどという謙虚な姿勢はまったく見られないからでしょうか。
自分たちが完全には奴隷状態を脱してないのに、同じ日本人を知的奴隷下に置こうなどという古い考えを今も抱いているとしたら、 マスコミ不要論が出てきても、何ら不思議はありません。
だからと言って、私自身が自立した素晴らしい人間だなどと主張したいのではなく、むしろ、逆です。
私自身、たいへん弱い人間です。若くない年齢になるまで、ずっとマスコミなどの情報に振り回され、自分の歩むべき道を真っ直ぐには進めなかった凡庸な人間に過ぎません。
それだけに、失った時間を、惜しむだけでなく、もう少しだけ賢くなって、せめてこれからは、自分を失わず、人と良い関係を築きたいと切に願っているだけです。
自立しなければいけないと思うのは、自立して初めて、他者との良い関係を築き得るから。
他者と愛情を持って接することができるのは、自立した人間だけではないか、と考える時があります。
そして、私が接したり、愛したいのは、優しさとか愛情から生み出されたモノやコトであり、ヒトなのです。
先日も書かせていただきましたが、もう本当にこれからは、優しさや愛情から生み出されたものしか信じないことにしました。
そのことは、この記事に⇒世界一美しい手紙文は?
そう誓うことは、自分に厳しさを課すことになるでしょう。でも、その道を進むしか、愛すべき人と出逢うことはないのでしょうから、仕方がないのです。