映画「美貌に罪あり」は、1959年に公開された。
東京五輪の開催まで5年あり、戦後の暗さをひきずっている時代だ。
時代が変わり過ぎてゆく時、人は不幸になる場合が多い。光と影が交錯する時代において、影を生きる人は少なくない。
だが、増村保造監督は、この映画「美貌に罪あり」では、光を中心に描いた。
山本富士子、若尾文子、野添ひとみ、この三人の女性、あまりにも生き方の異なる女性を、ものの見事に描き分けた。
特に、山本富士子への傾倒が激しく、日本女性美の典型として描いている節がある。
その真逆のキャラが、若尾文子の明朗快活。そして、発光で可憐な野添ひとみ。
映画「美貌に罪あり」は、異色作が多い、増村保造監督の成功作である。
成功作という意味は、作品として幸運な出来栄えになっているという意味だ。
物語の設定と展開が素晴らしい。破滅から再生への転換が、無理なく、しかも劇的に描かれていて、増村保造監督の手腕に舌を巻かざるをえない。
増村保造監督は女性の描き方が独特だ。まともに、普通に幸せになれそうな女性は、ほぼ出てこない。
激しく、純粋で、自らを燃やし過ぎ、破滅してしまう女性像を、増村保造監督は、しばしば描出する。
しかし、この映画「美貌に罪あり」では、女性たちがことごとく幸せになってゆくのである。
増村保造監督の映画としては、奇跡と言えるだろう。