今回ご紹介するのは、増村保造監督の映画「刺青(いれずみ)」。
文豪・谷崎潤一郎の傑作短編を映画化した作品である。
「刺青」を、谷崎潤一郎の小説は「しせい」と読むが、増村保造の映画は「いれずみ」と読む。
この映画を見て、増村監督の力量に感服した。
セリフ、構成、映像美、オリジナリティーなど、総合的に評価すると、それぞれレベルが高く、極めて高い点数をつけざるをえない。
あまり有名でもなく、語られることも少ない映画だが、これは紛れもない傑作だ。
映画「刺青」
1966年作。谷崎潤一郎の同名の原作を、「悪党」の新藤兼人が脚色、「清作の妻」の増村保造が監督した文芸もの。撮影は「悪名無敵」の宮川一夫。
増村保造監督のベスト5を挙げてみよう。
増村保造監督の映画ベスト5
「赤い天使」
「妻は告白する」
「刺青」
「黒の試走車」
「清作の妻」
いずれも類い稀な才能が感じられる。
他にも、「痴人の愛」・「音楽」・「盲獣」などには大胆な試みが見られ、思わず溜め息が出るほどだ。
しかしながら、僕は彼の作品はほぼ全作見ているが、思えば大傑作というものはない。
彼の置かれた環境が、いわゆる小津・黒澤・溝口といった巨匠たちとまるで違っていたからだろう。
芸術作品としての映画を追求する立場には増村保造監督はなく、商業映画を速いペースで作り出さねばならなかったのだ。
話を戻そう。「刺青」は紛れもない傑作だ。「もし、彼に黒澤明なみ予算と時間を存分に与えたとしたら」、と考えざるを得ない。
とんでもない、大傑作になっていからもしれない。それとも……。
だがしかし、哀しいかな、増村の映画づくりの手法には、低予算で、工期を短くして売りに出すという感覚が、癖のように沁み込んでいる。
嘆くのはよそう。それでもなお、彼の映画には、視聴者を感動させる力が満ちている。
様々な実験があり、特に、女の描き方には執念させ感じられる。
ともあれ、この映画もまた、原作とともに存分に楽しんでもらいたい逸品である。
これは大人が楽しむ作品だが、20~30代の人たちに見てもらいたい。郷愁だけで見る、懐かしの邦画といった類いの作品ではない。
なぜなら、増村監督の作風の特徴は、常に現代と格闘することにあったのだから。
私は映画の話になる度に、増村保造監督の映画について語ってきた。また若い人たちにもっと受けていい魅力があると言い続けてきた。
ただ、最近になって痛感するのは、増村保造監督の映画には現代に通じる「新しさ」があるとともに、「ひどく古臭いもの」がある、そのことだ。
たぶん、その「古さ」が、若い人たちの感性に合わないのではないだろうか。
増村の古さとは、ねちっこさ(執着心)、暗さ(うっくつ)、抑圧された性欲などだ。すべて、今的ではない。しかし、今という時代の閉塞感を破るには、増村保造監督ふうのパワーが必要なのではないだろうか。