本を何冊捨てられるか。本と人生の断捨離。

先日、ブックオフに古本を持ち込み、また大量の本を捨てているのですが、大型の本棚が3つ、まだ本で詰まったままです。ようやく、本棚に収まりきれない書籍が整理されてきたにすぎません。

近所に、新聞や雑誌などを捨てて良い施設があるので、そこに持ち込んでいます。ただ、しばる時のひもは紙でなければならないという規則があり、紙ですと切れやすいので、苦戦しています(汗)。

しかし、よくもまあ、これだけの本を買ったものです。東京に引っ越すことを検討中なので、一冊でも多く、処分したいわけなのですが、なかなか踏ん切りがつきません。

もともと、読みたいから買ったのであり、そういう本は、捨てるに忍び難いのは当然でしょう。

でも、この機会に、思い切って、捨てなければならない、そういう内なる声も強いのです。

余計な本を捨てことは、生き方を定めることである、と考えるようになりました。

もう余計なことをしている時間は残されていない、そういう思いが強いのですね。

だから、本だけでなく、無駄なものは捨て、ぜい肉を落とすように、動きやすい状態になりたいのでしょう。

身体の断捨離ということで、ダイエットにも打ち込んでいますが、すでに8キロ落としたにもかかわらず、まだ体が軽くなったという実感はありません。

本だけでなく、写真、ビデオ、書類なども、この際、限界まで、捨てたいと思っているのですが、果たして、どこまで実行できるでしょうか。

「されてください」は敬語として文法的に間違っている?

日本語で難しいのが「敬語」ですよね。私も決して得意ではありません。

 

今回はちょっと気になっている言い回しがあって、これは文法的に間違いなのか、許されるのか、書いてみたいと思います。

 

その言い回しとは「されてください」です。

 

ネット上でもよく目にするし、テレビでもときたま耳にしたりもしますよね。

 

「されてください」は、最初に読んだ時から違和感があって、気持ちが悪いというか、おそらくは間違いなのだろうけれど、それを文法的に説明するのは面倒なので、あえて無視してきたというのが現状です。

 

言葉というものは、読んだり、聞いたりして、違和感を覚えるようだと、だいたいは文法的にも間違っていることが多いみたい。

 

結論から言いますと、以下のとおりです。

 

×されてください

 

なさってください

 

さて、「されてください」を文法的にチェックしてみましょう。似たケースが多々ありますので、応用がきくようになるためです。

 

■「される」は連語で、サ変動詞の未然形「さ」に助動詞「れる」の付いたもの。「する」の尊敬の用法。なさる。

 

例えば「先生が講義をされました」、「充分に堪能されましたか」「どのように販売されたのですか」というふうに使います。

 

■「ください」は、動詞「下さる」の命令形。本来は「くださいまし(ませ)」で、その「まし(ませ)」の略された形。

 

相手に何らかの動作をすることを請い求める意を表します。動作の依頼ですね。

 

「くださる」は、動詞の連用形に「」の付いた形、動作性の漢語に「ご(御)」の付いた形、動詞の連用形に「て(で)」の付いた形などに付いて、動作をする人に対して、その動作を受ける者の立場から敬意を表す。

 

では、「する」の尊敬用法と敬意を表す「くださる」の合体ならば、文法的に間違いないとも考えられそうですが、それがどうやら正しくないみたい。

 

例えば、目上の人を新入社員の歓迎会に招待したい場合、「どうぞ、ご出席されてください」ではおかしいので、「ご出席ください」、「出席なさってください」「どうぞ、ご出席くださいませ」が正しいでしょう。

 

「ご出席なさってください」の場合、「出席」の前に「ご」をつけると、「ご」「なさる」「ください」と三つも敬語が入ってしまい、くどいので「ご」は削除した方が良いのです。

 

メールの場合は、丁寧すぎる言い回しは簡潔さに欠けるので、「ご出席ください」でOKだと思います。

 

つまり「する」の尊敬語は「される」と「なさる」があるのですが、「~ください」と続けて使う場合には「なさってください」が適切なのです。ですから「されてください」は間違いと言わねばなりません。

 

「ご入室されてください」は間違いで、「ご入室ください」「入室なさってください」「入室くださいませ」の方が正しいのです。

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