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ラストシーン~風花未来の詩85

風花未来の今日の詩は「ラストシーン」です。

 

  • 風花未来が、風花未来の詩について動画で語りましたので、ぜひとも、ご視聴ください。

 

⇒【動画】風花未来が自身の詩について激白!

 

ラストシーン

 

もう 20年以上

映画のレビューブログを

つづけているので

数えきれないほどの

映画を観てきた

 

ふと思ったのだが

ラストシーンが

すぐに想いうかぶ映画は

どれくらいあるだろうか

 

最近観た中で

ラストシーンが

最も印象的だったのは

1948年公開の映画「破戒」

 

過酷な運命を生きてきた

主人公が職場をやめ

新しい人生の旅に出る

 

渡し舟ほどの

小さな舟に乗って

恋人とともに旅立つ

 

その小さな舟は

なぜか 珍しいことに

白い帆を上げている

渡し舟ふうの小舟が

帆を張っているのを

私は初めて観た

 

風にふくらんだ帆は

希望の象徴だと

感じとれた

 

そう

映画のラストシーンでは

希望を描き出してほしい

 

ところで

私という人生は

どんな結末になるのか

自分でも予測不能だ

 

ただ ひとつだけ

すでに決めていることがある

 

私という

ささやかな物語の

ラストシーンでは

必ず

明るい光を

投げかけたい

 

そう

ラストシーンでは

私も 白い帆を上げていっぱいに広げたい

 

希望の風を

吹かせたい

吉田喜重監督の映画「戒厳令」は二・二六事件を映像詩として独自表現

映画「戒厳令」は、1973年に公開された日本映画。

 

監督は吉田喜重(よしだよししげ)。

 

主演は三國連太郎

 

映画「戒厳令」はこちらで視聴可能です

 

二・二六事件により処刑された北一輝を軸に展開される。

 

が、しかし、この映画を見ても、北一輝がいかなる人物なのかは、まったくわからないだろう。

 

また、二・二六事件って、そもそもどんな事件で、結局、どうなったっけ?という基本事実も、まるで伝わらない。

 

それは、この映画「戒厳令」は、そういう基礎知識を伝えるつもりは、初めからないということだ。

 

この吉田喜重監督の映画「戒厳令」は、明確な思想とか、明文化できるメッセージを込めてはいない。

 

吉田喜重監督の大胆なカメラアングルが象徴しているのだが、この映画は歴史映画でなく、思想映画でもなく、映像による散文詩である。

 

ニュートラルな心理状態で、詩として鑑賞すれば良いと、私は思っている。

 

また、そういう鑑賞法しかないではないか、と感じざるを得ない映画だ。

 

吉田喜重節とも言える、大胆なカメラアングルには、独特の快感がある。

 

独自のアングルが、独自の映像空間、映像宇宙を生み出していて、言葉で説明できる概念を拒絶し、映像による絶対世界を確立しているかに見える。

 

それこそが、吉田喜重の映像哲学であり、詩学であり、美意識なのだ。

 

つまり、意味性と求めるのは、そもそも愚かなのである。

 

まあ、語りだすとキリがないが、要するに、映像による散文詩、叙事詩であり叙情詩なのだ。

 

私としては、独特のアングルが生み出し快感が得られるかぎり、吉田喜重監督の映画を見続けるであろう。

 

 

 

あの瞳~風花未来の詩84

風花未来の今日の詩は「あの瞳」です。

 

  • 風花未来が、風花未来の詩について動画で語りましたので、ぜひとも、ご視聴ください。

 

⇒【動画】風花未来が自身の詩について激白!

 

あの瞳

 

一点の曇りもない

澄みきった瞳

 

澄んでいるだけでなく

明るく輝いていた瞳

 

あの瞳が

まだ

私の心を

照らしている

 

あの瞳があるかぎり

私は生きられる