「特捜最前線」で船村刑事が活躍する回をまとめてみました。

船村一平刑事が活躍する回は、すべて見たいものだ。そうしなかれば「特捜最前線」を見たとは言えない、と私は強く感じている。

 

 第32話 殉職・涙と怒りの花一輪

 

第40話 初指令・北北東へ急行せよ!

 

「第85話 死刑執行0秒前」

 

 第106話 完全犯罪・ナイフの少女!

 

特捜最前線 第118話「子供が消えた十字路」

 

「第127話 裸の街Ⅰ・首のない男!」

 

「第128話 裸の街Ⅱ・最後の刑事!」

 

 第170話 ビーフシチューを売る刑事!

 

 第172話 Z種蹄状指絞の謎!

 

 第193話 老刑事、鈴を追う!

 

特捜最前線 第340話「老刑事・96時間の追跡!」

 

特捜最前線 第380話「老刑事・対決の72時間!」

 

第430話 昭和60年夏・老刑事船村一平退職!

 

第499話 退職刑事船村・鬼

 

第500話 退職刑事船村・仏

アルベール・カミュの「異邦人」は、駄作である!?

アルベール・カミュの代表作「異邦人」を、私は二十歳の時に読んだ。

 

あれから気が遠くなるほどの年月が流れた今、この小説のことを振り返ると、やはり……と結論づけたくなる。

 

駄作。これは言い切って良いと思う。

 

主人公のムルソーの人物造形。これは造り過ぎだ。

 

頭で概念的に造り上げた人間であり、こういう人間など、どこにもいない。

 

もちろん、カミュは哲学的エッセイ「シーシュポスの神話」で言いたかったことを、小説家したかったことはわかる。

 

だが、そもそも哲学的な思想を、小説にすること自体が愚かである。そういう動機と意図から生み出される小説など、面白いはずがない。観念的であり、どこか無理があり、要するに、頭ででっち上げた人形のような人物にしかなりえないからだ。

 

その意味から、カミュの小説は、ことごとく、つまらない。

 

私は逆説的に話を進めようとしているのだろうか。

 

いいや、大真面目に結論を述べている。

 

小説は小説として書かれるからこそ、意外性を生む。つまり、作者自身も想定できない、神の部分が働き、とてつもない光が生まれることがある。

 

そういう神がかり的なハプニングの可能性を消すのが、哲学の小説化である。

 

別の視点からも、小説「異邦人」を酷評したい。

 

中身がない。人生というものが、こういう形にはなった哲学的概念でできあがっているとしたら、生きる価値はほぼありはしない。

 

「異邦人」も「シーシュポスの神話」も、ともに幼稚でさえある。

 

アルベール・カミュは、優れた文学者であったことは間違いない。しかし、超一流の小説家となるためには、もっとも大事な論理を打ち破る、狂暴な生きることへの欲望と閃きに欠けていたと言わねばなるまい。

 

ドストエフスキーの小説を読めば、それがよくわかる。

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特捜最前線 第380話「老刑事・対決の72時間!」

特捜最前線の浪花節、ここに極まれり!

 

第380話「老刑事・対決の72時間!」

 

 

昭和の名俳優である蟹江敬三の演技力が実に効いていた。

 

浪花節という言葉に、私は軽蔑の意味を1ミリも込めていない。最大限の敬意を表しているのである。

 

クライマックス、ギターの激しい演奏が響く。これぞ、特捜最前線だ。七人の刑事を超える、お涙ちょうだいの究極形である。

 

それにしても、船村刑事の存在感が素晴らしい。

 

他の記事でも書いたが、船村刑事がいなければ、特捜最前線そのものが成立しないほど、その存在感は重く、大きい。

 

老刑事・対決の72時間!」も、特捜最前線の傑作選に加えたいと思う。

 

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