増村保造監督の代表作「清作の妻(せいさくのつま)」を鑑賞した。これで3度目である。
凄まじい、若尾文子の演技は日本映画史上に残ることは間違いあるまい。
すでにこのブログでは「清作の妻」をレビューしている。
今回の鑑賞で得た、新たな気づきについて書いてみたい。
増村保造の美学をギリギリまで突き詰めた傑作と呼びたい。
サディズムとマゾヒズムが混交した、増村独特のフェチズムが躍動している。
ブラック&ホワイトの映像が、重苦しくも美しい。
黒はあくまで黒く、塗りつぶしたような黒が、この映画に底流する、人間の懊悩をシンボライズしている。
やられた。してやられた、増村保造監督に。
これほどまでに、若尾文子という映画女優の至宝を、思いのままに操り、自らの美学を探求した映画監督は、他にはいない。
ここには、道徳はない、すさまじい生き方があるだけだ。
苛烈。若尾文子が演じた主人公、その生き方は、暴力そのものだとも言える。
激しく、すべてを超越して、命がけで愛を貫こうとしたヒロインは、あまりにも稀有だが、このヒロインの生きざまを否定できる者はいないのではないだろうか。