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石垣りんの詩「空をかついで」

石垣りんの「空をかついで」というをご紹介します。

 

空をかついで

 

肩は

くびの付け根から

なだらかにのびて。

肩は

地平線のように

つながって。

ひとはみんなで

空をかついで

きのうからきょうへと。

子どもよ

おまえのその肩に

おとなたちは

きょうからあしたを移しかえる。

この重たさを

この輝きと暗やみを

あまりにちいさいその肩に。

少しずつ

少しずつ。

 

これは、人生論であり、時代論であると言ったら、感想文として、あまりにも無骨な書き出しになってしまう。

 

感傷を厳しく排除した詩は珍しくないが、しかも、温かい眼差しが感じられる詩は滅多にあるものではない、としても、やはり不細工な書き出しになる。

 

ただ、この「空をかついで」は、私が長いこと抱いてきた、現代詩への偏見をぬぐいさる力を持っていることだけは確かなようだ。

 

石垣りんは、あまりにも有名だけれども、これまで一度も当ブログで取り上げたことがなかった。

 

石垣りんは、1920年(大正9年)2月21日に生まれ、2004年(平成16年)12月26日に死去。日本を代表する現代詩人である。その詩作品「表札」は、広く知られている。

 

現代詩人はテレビによく出てくるわけでもなく、有名と言えるような人は少ないが、石垣りんは有名だ。

 

ねじめ正一がNHKの番組で、石垣りんにインタビューしていたのを見て、その印象が今も強い。

 

石垣りんが嫌いなわけではない。いくつかの代表作は知っているし、読み応えのある詩ばかりだ。

 

ただ、今回、この「空をかついで」を読んで、感想文を書いてみたくなった。

 

「空」の詩には興味があるし、「空をかつぐ」という発想が面白いと感じた。

 

うまい。この「空をかついで」は、極めて技巧的な詩と見た。とにかく、うまい。

 

一行の文字数が極めて少ないのだが、それが効いている。

 

読みやすいし、きりっとしまるし、リズムも良い。

 

きょうからあしたを移しかえる。」の行だけが長いが、これも効果を上げている。

 

空の「重たさ」と「輝き」と「暗やみ」を、大人が子供に「移しかえる」と発想したこは、私はこれまでに一度もなかった。

 

それだけに、新鮮であり、考えてみると、世の中というものは、時代というものは、そういうものであり、しごく全うなことを、石垣りんは言っていることに気づいた。

 

大人たちは、石垣りんほど、子供たちのことを想ってきただろうか。

 

あまりにも、子供たちに、無神経、無配慮でありはしなかったか。

 

そして何よりも、大人は子供たちに残酷でありすぎはしなかったか。

 

戦争は残酷の極みだが、希望というバトンを子供たちに渡せられないことも、残酷だろう。

 

大人の多くは、もはや、子供たちに渡せる希望を、自分たちが持っていない。

 

したがって、現代においては、子供たちには「輝き」を渡せず、「重たさ」や「暗やみ」だけを渡すしかないとしたら、時代そのものが残酷になってしまう。

 

こうしてみると、この「空をかついで」は怖い詩であることに気づく。

 

だが、もう一度読み直してみると、「現代は夢のない時代である」は単なるテンプレートなのかもしれないと思った。

 

いつの時代でも、空は重くて、輝きがあって、暗いものなのだ。それらのすべてを、子供たちは大人たちから受け継いで生きてゆく。

 

空は明るい時も暗い時もある。どんな色の空も、空であり、それが人生であり、時代なのだ。

 

空はどこにでも広がっていて、空から逃げることはできない。どんなことも、かついで生きてゆくしかないのである。

 

大人たちができることは、たとえ少しであっても、希望という、確かに握りしめることができるバトンを、子供たちに渡すことだけだ、そんなことを今日の空の明るさを見ながら思った。

 

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石垣りんの詩「太陽のほとり」

石垣りんの「太陽のほとり」というをご紹介します。

 

太陽のほとり

 

太陽

天に掘られた 光の井戸。

 

私たち

宇宙の片隅で 輪になって

たったひとつの 井戸を囲んで

暮らします。

 

世界中 どこにいても

太陽のほとり。

 

みんな いちにち まいにち

汲み上げる

深い空の底から

長い歴史の奥から

汲んでも 汲んでも 光

天の井戸。

 

(日本の里には 元日に 若水を汲む

という 美しい言葉が ありました)

 

昔ながらの

つるべの音が 聞こえます。

 

胸に手を当てて 聞きましょう

生きている いのちの鼓動

若水を汲み上げる その音を。

 

新年の光

満ち あふれる 朝です。

 

太陽を「天に掘られた 井戸」と、光を「水」ととらえる、この独創性がまず素晴らしい。

 

構成は、前半と後半に分かれる。

 

前半では、「宇宙」「世界中」といった大いなる空間を提示し、また「長い歴史の奥」というふうに悠久の時間をも描き出す。

 

ここまでは、視覚のみの世界。「光」が主役。

 

中盤過ぎで、以下の二行が挿入され、転調する。

 

(日本の里には 元日に 若水を汲む

という 美しい言葉が ありました)

 

そして後半。ここからは、聴覚の世界。「音」が主役に。

 

「若水を汲む音」を「いのちの鼓動」ととらえる。

 

最後の連では、再び「光」が主役に。

 

生命の歓びを「光あふれる朝」に象徴させて終わる。

 

「太陽のほとり」「光」「水」「若水を汲む音」「光あふれる朝」などの言葉が示すとおり、この詩「太陽のほとり」は生命賛歌だ。

 

ただ、詩のタイトル「太陽のほとり」と、前半の大スケールの映像、後半の「若水を汲む音」、そしてラストの「光あふれる朝」までの流れが、今一つ、しっくりこないと感じたのは私だけだろうか。

 

時空を前半は宇宙まで広げ、後半は日常の時空間で結ぶという大胆な試みは良いと思うが、その挑戦的な試技の着地は、ピタッと決まっているだろうか。

 

この点については、ワークショップなどで、いろんな人に感想を求めてみたい。

 

もし、着地に成功していれば、大傑作と言っていいのではないだろうか。

 

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俳句と短歌を除外したため、日本の名作詩ベスト100が大幅に変わりました。

「日本の名作詩ベスト100」から、短歌と俳句を除外しました。

 

したがって、順位に大幅が変更が生じ、新たな作品が大量にランクイン。

 

こちらでご確認を⇒日本の名作詩ベスト100

 

また、選に漏れた俳句と短歌は、別ページにまとめました。ぜひ、ご確認ください。

 

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