言葉力と人間力

現在、夢路塾を開講中です。連日連夜、スカイプ相談を行っています。

文章力をアップさせたいという人は多いのです。文章が上手くなるために必要なのは、実は技術よりも、大切なことがあります。

それを「人間力」だと言ったら、あなたは、落胆されるでしょうか。

人間的にどうのこうのが問題ではなく、ただ文章表現力を上達させたいという人もおられるかもしれません。

しかし、文章と人間を切り離すことはできないのです。

「文は人なり」という言葉があります。文章には、どうしても、それを書いた人が投影されてしまうのです。文章においては、自分を隠すことはできません。

その意味で申し上げますと、その人自身が面白ければ、文章も面白くなる可能性が高いのです。

逆に、その人自身が「つまらない人」であるならば、文章だけが、魅力に富んでいるということはありえません。

スカイプ相談では、話はいろんな方面に及びます。インターネットビジネスで収益を上げるためのテクニック論もありますが、むしろ、人間力の向上に関する話題が多いことに、最近、気づきました。

言葉の条件のひとつに「人間的であること」があります。

ブログを書くのは「人間らしくあるため」だと私は思っているのです。

これからも、私自身、より「人間的である」ために、精進してゆきたいと思っています。

「折り紙付き」の語源

価値や資格などに定評のあること、保証ができることを「折り紙付き」と言います。この「折り紙付き」の語源をご存知でしょうか。

 

「折り紙」とは、紙を半折りした文書のこと。古くから、公式文書や目録に使用されてきました。江戸時代には、美術品や刀の鑑定書にも、この「折り紙」が使われました。

 

そのことから、確かに品質が保証されているものを「折り紙付き」と呼ぶようになったのです。

 

現代では、物品だけでなく、人物の実力などについても「折り紙付き」という表現を用いています。

 

首っ丈(くびったけ)の語源

首っ丈」について、大辞林は次のように解説しています。

 

くびったけ【首っ丈】(形動)

 

〔「くびたけ」の転〕異性に深く心を奪われ、夢中になっているさま。

「友人の妹に―だ」

 

首が伸びるほど人が好きになることから「首っ丈」というのでしょうか。だとしたら「丈(たけ)」という言葉が使われている理由がわからなくなりますよね。

 

実は「首っ丈」は「足もとから首までの長さ」を指します。そのことから、足もとから首まで、どっぷりとはまり込むほどに「愛している」「とても好きである」という意味になったのです。

 

その意味では、以下のデジタル大辞泉の説明の方が、わかりやすいでしょうね。

 

くびっ‐たけ【首っ丈/×頸っ丈】

 

[名・形動]《首の高さまで深くはまり込む意から》ある思いに深くとらわれること。特に、異性に心をひかれ夢中になること。また、そのさま。「彼女に―だ」