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五社英雄監督の映画「三匹の侍」は黒澤明の「用心棒」に負けない生命感があふれている。

五社英雄の映画「三匹の侍」は、おそらくは、五社映画の最高峰である、というふうな陳腐な書き出ししかできない自分自身がもどかしい。

 

本日、2022年12月31日大晦日に、改めてじっくりと鑑賞しました。

 

 

もう、何の躊躇もなく断言します。この「三匹の侍」は、日本の時代劇史上の最高傑作でです。頂点、最高峰、ベスト1、こういった讃辞を、今回は惜しみません。

 

本当に、素晴らしい。

 

特に、丹波哲郎の存在感、迫力ある演技は、映画史上の残る名演です。丹波哲郎が演じた武士の精神性、生命感が、限界まで活写されていました。

 

「三匹の侍」は1964年5月13日に公開された日本映画。五社英雄の初監督の映画です。ストーリーはテレビドラマ版の第1シリーズ第1話「剣豪無宿」がベースとなっています。

 

主なキャストは以下のとおり。

 

丹波哲郎 … 柴左近

長門勇 … 桜京十郎

平幹二朗 … 桔梗鋭之介

桑野みゆき … 亜矢

木村俊恵 … おいね

香山美子 … おやす

三原葉子 … おまき

藤原釜足 … 甚兵衛

 

五社英雄を黒澤明と比較する愚かさを私は知っています。

 

ただ、この「三匹の侍」の完成度、この作品の緊張感、躍動感、人間たちの実在感と生命感などは半端ない。決して黒澤明の「用心棒」「椿三十郎」に劣っていない、いや、それ以上だと言いたくなってしまうのです。

 

丹波哲郎の熱演は、時代劇映画の歴史に残る。

 

それにしても、丹波哲郎の迫力がすごい。仲代達也や三船敏郎のように作品に恵まれていたら、とてつもない演技を見せてくれたであろうに。

 

ただ、そうはならなかった。小林正樹監督の映画「切腹」において、主演の仲代達也に切られる役で登場し、見事な存在感を示していますが、主役ではないのです。

 

仲代や三船に負けない演技を見せたのは、この「三匹の侍」だと私は思っています。

 

ニヒルな平幹二朗、土くさい長門勇の「キャラ立ち」が鮮明。

 

黒澤明の「七人の侍」はあまりにも有名ですが、五社英雄の描いた「三匹の侍」は、キャラ立ちの鮮やかさでは「七人の侍」を凌いでいるように感じられます。

 

その理由には、三匹の侍の「侍らしさ」、立ち回りの迫力とうまさがあげられるでしょう。

 

立ち回りは「七人の侍」よりも「三匹の侍」の方が鋭く迫力がある。

 

さらには、三人の性格、剣術のスタイル、生き方、価値観の違いなどが、ごく自然に、かつ格調高く描出されているのです。

 

正義感が強い一本気な柴左近(丹波哲郎)、哀愁を秘めたニヒルな桔梗鋭之介(平幹二朗)、土くさく人情もろい桜京十郎(長門勇)は、時代劇史上に残る、永遠の人物造形となるに違いありません。

 

四人の女優が、この映画に彩りと深みを与えている。

 

以下の四人のキャラクターも、それぞれ全く違いながらも、無理なく作品に溶け込んでいます。

 

桑野みゆき … 亜矢

木村俊恵 … おいね

香山美子 … おやす

三原葉子 … おまき

 

女性の描き方は、黒澤明と、五社英雄では、まったく違います。黒澤は女性を極端に美化しますが、五社は生々しく情念をあぶり出しています。

川島雄三監督の映画「わが町」は辰巳柳太郎と南田洋子のコントラストが素晴らしい。

川島雄三の映画はどの作品を見ても、その類まれな才能に驚かされます。

 

いろんなジャンルの映画を撮った監督ですが、一つとして凡作はありません。何かしら、必ず光るものを示してくれるのです。

 

今回鑑賞した「わが町」。主演が辰巳柳太郎ということで少し腰が引けました。それほど好きな役者ではないからです。

 

しかし、実際に映画が動き出すと、時間を忘れて画面に見入ってしまいました。 この記事の続きを読む

映画「終着駅」はジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフトの二人芝居。

映画「終着駅」を初めて鑑賞しました。有名な映画ですが、なぜか、今まで見ていなかったのです。

 

「終着駅」は、1953年に公開された、米伊合作映画。監督は名作「自転車泥棒」や「ひまわり」などで知られる、イタリアの名匠・ヴィットリオ・デ・シーカ

 

主演は、ジェニファー・ジョーンズモンゴメリー・クリフト。二人芝居と言っていいくらい、二人だけ(二人を中心としたカメラアングル)のシーンが極めて長い、珍しい構成となっています。

 

いわゆる、メロドラマです。ただ、単なるメロドラマを、ここまで情緒豊かに仕上げた、映画監督の手腕には驚かされます。

 

モンゴメリー・クリフトはただ顔がいいだけの大根役者かもしれないのですが、持って生まれた雰囲気は素晴らしい。その顔の表情と雰囲気を最大限に生かされていました。

 

ありきたりなラブロマンスに堕していないのは、たぶん雑踏や群衆の描き方が巧みだからでしょう。

 

メロドラマなのに、これほど群衆が出てくる映画を他に知りません。貧しく、時には品性に欠ける庶民たちの表情や風情が、二人の美男美女を悲しいまでに際立たせます。

 

それと、顔のアップが多いのも、この映画の特徴のひとつ。

 

モノクロ映画の良いところは、出演者の顔に注視できること。誰も乗っていない汽車の中のラブシーンは、歴史に残る名場面といっていいでしょう。

 

見る側は他の情報が何もないので、二人の表情に集中できるのです。この極めて感度の高い集中を生み出した名シーンは本当にすばらしい。光と闇、男と女、そして愛、それしかこのシーンにはないのです。

 

ともあれ、「終着駅」は古き良き時代の映画の良さを凝縮させた、名画であることは間違いありません。