昨日は病院の定期検診がありました。あまり流行っていない病院なので待たされることは少ないのですが、昨日は珍しく待ち時間が長かったのです。

その時に読んでいたのが、齋藤孝の「読書力」という岩波新書です。

読みながら、凄い本が出てきたものだなぁと感じました。

凄いという意味は、世の中、本当に本を読まない習慣が完全に浸透してしまったので、その反語として、こういう書籍が出版されるようになったのでしょう。

文章力以前の問題として、国語力と読書力が求められるということを、今回の記事で書こうとしてブログの記事投稿画面を開いたのですが、この本は、現代人の知的生活習慣への警鐘であるという結論が見えてしまったのでした。

テレビにはじまり、携帯電話、ゲーム、最近ではスマートフォンのアプリといった具合に、人間が能動的に頭を使う習慣を根こそぎ奪うようなツールがどんどん普及してゆく。なぜか、そういうものに関する技術だけは進化しているみたい。

人間力を高めようとか、創造的な力を身につけましょうといった動きは、なかなか見えてきません。

そうした圧倒的な流れを、笹船で逆流しようというのが、齋藤孝の「読書力」であるような気がしてきます。

もう一つ、この「読書力」の面白いのは、読書はスポーツと似たところがあるという視点です。

最近、私は文章を書くとか、ブログを上手に育ててゆくとかいうことは、スポーツジムで行うストレッチのようなものだと感じるようになりました。

週に2回のペースでジムに通うようになって、まだ2ヶ月にもなりません。トレーナーについてストレッチを行うだけで、体が悲鳴を上げます。ウォーキングマシーンを20分間こなせば、息があがってしまいます。

こうした辛さを、たぶん、文章を書くことに慣れていない人は味わっているのではないか……そんなことを、マットの上で顔をしかめながら想ったのでした。

風花ができることは、スポーツジムのトレーナーと同じです。

齋藤孝さんも「読書力」の中で、「読書トレーナー」という言葉を使っています。昔はふつうに行っていたことができなくなったので、読書にもトレーナーが必要になってしまったのですね。

巻末におすすめブックリストとして「文庫百選」が掲載されています。「読書力」は何部売れているか知りませんが、おそらくは一人もこの百選を読破する人は出ないでしょう。

誰も読みはしない、それがわかっていながらリストアップした著者の気持ちが、痛いほど伝わってきます。ひそかに、私だけでも、100冊すべて読んでしまおうとも思うのですが……。