今年の私のモットーに「短く書く」があります。インターネットで公開される文章は短ければ良いというものではありませんが、同じ価値の文章ならば、短い方がWeb向きだとは言えるでしょう。
日本人は概して、短いものが好きですね。文学表現においても「短詩系文学」というジャンルがあり、地味ながらも安定した人気を誇っているようです。
短い詩といえば、最も短いのは「俳句」です。純粋な詩ではないかもしれませんが、「川柳」もまた十七音を基本としています。
今日の記事のテーマである「日本語で書かれた最も感動的な一行詩」も、俳句という形式をとっています。
ただ、俳人が作った俳句ではない点に注目してほしいのです。
以前、私は日本語で書かれた美しい詩ベスト1という記事を書いたことがありますが、その詩を書いたのも、いわゆる詩人ではなく、戦没者でした。
今回ご紹介する俳句(俳句の形式となった言葉)も、俳人ではなく、小説家が作ったものです。
その小説家とは、「宮本武蔵」「新・平家物語」などで知られる吉川英治です。
ある席で、双葉山と吉川英治がいっしょになりました。戦争(第二次世界大戦)中のことです。当時、双葉山は連勝の真っただ中です。
現役の横綱・白鵬が尊敬する力士が双葉山であることは有名。双葉山が、いまだに破られていない69連勝を記録した名横綱であることは、相撲に興味がない人でも知っているでしょう。
双葉山は吉川英治に、大きな体を小さくかがめて、こう言いました。
「先生、何か、書いてください」
吉川英治は、しばらく考えてから、「うん」と言って、紙にこう書いた。
江戸中でひとり淋しき勝角力
双葉山は、その紙を手にとり、じっと見つめた。双葉山は、吉川英治の言葉を見つめたまま、大粒の涙を流したそうです。
「勝角力」は(かちずもう)と読みます。当時の大相撲は年に2場所しかありません(今は年6場所開催)。
その中で、60連勝以上もするには、はかり知れないほどのプレッシャーがあったことでしょう。体も、心も、勝ち続けながら、疲れ切っていたに違いありません。
吉川英治の俳句が素晴らしさは、勝者の孤独、哀しさを見つめる眼力にあります。眼力を他の言葉に置き換えるならば、人間を見つめる優しい視線、温かい眼差しと言うことができるでしょう。
マスコミ関係者は双葉山の連勝を讃えるばかりである。観衆も、大横綱の強さに拍手と歓声をおくるのみ。
その中で、一人、吉川さんだけが、自分の孤独、淋しい気持ちを理解してくれた、そうした吉川さんの優しさを「江戸中でひとり淋しき勝角力」の句から感じとった、だからこそ、日本一強い男が、人前で男泣きに泣いたのです。
「江戸中でひとり淋しき勝角力」を初めて読んだ時、私も号泣しました。吉川さんの人生を見る厳しく、そして温かい眼差しに打たれました。