風花未来の今日の詩は「広げた風呂敷をたたむ」です。

 

広げた風呂敷をたたむ

 

気持の整理がついた

という言い方がある

 

ひょっとすると

今の私がそうかもしれない

 

退院後の激しい後遺症も

しだいに弱まり

冷静にものごとが

見えてきている

 

広げた風呂敷をたたむ

という言い方がある

 

何かをしようと計画をたて

設計図や詳しいシナリオを描いて

それを完璧に実現できれば

広げた風呂敷を

きれいにたためたことになる

 

では 私は

広げた風呂敷を

きれいにたためるだろうか

 

とんでもない

私はもともと

気持の整理をする気はないし

風呂敷をきれいに

たたもうとも思っていない

 

文学者でいえば

小林秀雄は

文壇では超然とした態度を

つらぬきつづけ

日本最高峰の叡智と

類い稀な文章力を駆使して

数々の名作評論を生み出した

 

晩年は

そもそも難解な思想を

やわらかで

読みやすい

美文として完成させた

 

このように

小林秀雄は

広げた風呂敷を

きれいにたたんで

自分の人生をまっとうした

 

いっぽう 高村光太郎は

広げた風呂敷を

どうにも うまくたためなかった

 

不器用で 愚鈍で

人間的すぎて

戦前・戦中・戦後という

時代の荒波に

ほんろうされた

 

戦後は自分の魂を

ずたずたに切り裂いた

 

智恵子への愛も

美しく収束できなかった

 

高村光太郎が自身で書いた詩

「ぼろぼろな駝鳥」のように

傷だらけのまま死んでいった

 

わたしは 何を言いたいのだろうか

 

気持の安定は

ある程度はほしい

 

広げた設計図は

できれば

しっかりとした形にしたい

 

自分の人生の結末

最後の舞台は

光の指す場所にしたい

 

だが

整然とは

生きたくない

 

生きられそうにない

 

広げた風呂敷を

たたむどころか

ようやく

広げかけたばかりで

広げ方にも

苦心している段階である

 

ただ

迷うことなく言えるのは

私は今

光に包まれている

そのことだけだ