しめやかな激情」という言葉をご存知でしょうか? 「しめやかなげきじょう」と読みます。

 

和辻哲郎(わつじ てつろう)の言葉です。

 

日本人の心の原風景には、この「しめやかな激情」が息づいていることを私も信じています。

 

やさしく、しとなかで、穏やかなたたずまいが、急に、荒々しい、狂気の乱舞に変ずる……そういうことが、人の心には、平気で起こりうるものだと、和辻さんは言いたかったのでしょう。

 

本当に激しいものは、静かである、と風花は思っているのです。

 

「しめやかな激情」という言葉を知ったのは、かなり前のこと。

 

中村彝(つね)という大正期の画家を知っている人は少ないでしょうか。彼の油絵には、狂わんばかりのエネルギーが封じ込められていて、見ていると身動きができなくなるほどです。

 

その情熱は、一見静かに見える肖像画の奥で、暗い夜の嵐さながらに吹き荒れている。

 

この狂気じみた熱情の原泉は、相馬俊子へのかなわぬ愛でありました。

 

37歳という若さで他界した中村彝の展覧会の批評文、その中に「しめやかな激情」という言葉が使われていたのです。

 

私はその時から「しなやかな激情」という、美しくも狂おしい日本語を、忘れられなくなったしまいました。

 

この言葉をアレンジして、私は「しなやかな熱情」という言葉を使っています。