五七七の定型にこだわらない自由律俳句の俳人といえば、種田山頭火の名がすぐに浮かびます。

 

先日取り上げた尾崎放哉も自由律俳句の俳人ですが、尾崎放哉と種田山頭火、どちらの方が人気が高いのでしょうかね、ちょっと気になるところですね。

 

それはともかく、今回は種田山頭火の代表的な俳句をご紹介しましょう。

種田山頭火の代表的な俳句

 

夕立や お地蔵さんも わたしもずぶぬれ

 

放浪の俳人である、種田山頭火には、道端に立つお地蔵さんは、心の友といった存在だったでしょう。自由律ならではのしゃべる感じが、お地蔵さんと作者との距離を縮めていますね。

 

分け入っても 分け入っても 青い山

 

現代人の気軽な旅と違って、山頭火の旅は安楽なものではなく、相当に厳しいものだったと思われます。その「険しさ」こそが人生であり、青くありつづける、簡単に変わってもくれない、大きな自然と、小さき存在の自分……そこに発句の源泉があるのではないかと山頭火は感じていたのかもしれません。

 

焼き捨てて 日記の灰の これだけか

 

一瞬いっしゅんを懸命に生きた何十年もの記録である日記。しかし、燃やしてしまえば、はかなくも、ほんのわずかな灰が残るだけである。その「空しさ」こそが、人生なのかもしれませんね。

 

まっすぐな道で さみしい

 

「まっすぐ」だから「さみしい」のは、よくわかります。しかし、誰もそれを言おうとしない。そのことを、大胆に発句してしまった山頭火の「自由」がすばらしい。

 

ついてくる 犬よおまへも 宿なしか

 

この句の作者が尾崎放哉だと言われたら納得してしまいそうです。この「わびしさ」が放哉と山頭火に共通する、読者にとっての親近感なのだと思います。

 

種田山頭火のプロフィール

 

種田 山頭火(たねだ さんとうか)は、1882年(明治15年)12月3日 に生まれ、1940年(昭和15年)10月11日)に死去した、日本の自由律俳句の俳人。

 

自由律俳句の代表として、同じ「層雲」の荻原井泉水門下の同人、尾崎放哉と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や兼崎地橙孫ら支持者の援助によって生計を立てていた。

 

山頭火は晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と記している。その時にはすでに無一文の乞食であったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記をつけ続けている。その放浪日記は1930年(昭和5年)以降が存在し、それ以前の分は自ら焼却している。