「です・ます調」と「だ・である調」については、以前にも書いたことがあります。

 

その記事はこれです⇒「です・ます」調と「だ・である」調の使い方

 

比較的に表現が自由であるブログの文章でも、基本的には「です・ます調」と「だ・である調」を統一すべきです。

 

そうしないと、文章がガタガタになって、非常に読みづらくなります。

 

公式文書では、この規律は厳格に守らねばなりません。

 

しかし、意図的に語尾を統一させないで、独自の文章のリズムや流れを作ると、たいへん心地よい個性的な文体ができあがることがあります。

 

これまで私は、そういうことは神業というか、ふつうの人にはできないので、初心者のうちはやるべきではないと語ってきました。

 

でも、あえて今回は、神業的な語尾変化を活かした、お手本を読み解くことにします。

 

これから紹介するのは、土屋耕一さんという有名コピーライターが書いたコピーです。

最初の1行はヘッドコピー、その他はボディコピーです。

 

なぜ年齢をきくの

 

なにも女性だけではなく。

男だって、年齢をきかれるのは、

あまり気持ちのいいものじゃないんだ。

女の、そして男の、生きていく姿、

それを年齢というハカリにのせて

見たがる習慣に、抗議したいと思う。

いま、装いにも、住まいにも、

すべて暮らしの中から、もう年齢という

枠がなくなりつつあるのですね。

その自由な空気が、秋の、伊勢丹を

やさしくつつんでしまいました。

 

(引用元:鈴木康之「新・名作コピー読本」)

 

1975年の伊勢丹の広告なのですが、今読んでも、それほど古く感じません。

 

それと語尾に注目してください。「です・ます調」と「だ・である調」が、まぜこぜになっています。

これを試しに「です・ます調」か「だ・である調」のどちからで、文の結びを統一してみてください。

 

上の文章のような生き生きとした感じ、雰囲気が薄れてしまうことに気づくはずです。それに、文の流れやリズムも、この混ぜこぜ(混在型)文体の方が心地いい。

 

何が言いたいかというと、あなたの書く文章が、会社が管理するホームページの説明文ならば、文体は統一すべきです。公式文書とはそういうものですから。

 

しかし、ブログは多くの場合、個人のメディアです。個人はもっと自由であって良いと思うのです。

 

ただ、文体を自分の色に染めるのは、基礎を学んでからにしてください。そうしないと、文章の均衡感覚が、崩れてしまいますからね。

 

それと、一流の書き手は、ここまで言葉というものにこだわり、言葉の持つリズム、色合い、雰囲気、フォルムにまで、神経を巡らせていることを、知っておいてほしいのです。

 

最後に「です・ます」調と「だ・である」調を、ひんぱん混在させ、リズミカルで、しかも品格のある文章が書かれている好例をご紹介します。

 

小林秀雄の「美を求める心」です。

 

「小林秀雄全作品〈21〉美を求める心 」

 

文体も文章の内容も素晴らしい。このエッセイは講演筆記ですが、講演筆記を名文にまで高めたのは、小林秀雄の大きな功績の一つだと思います。

 

小林秀雄の初期の評論は、難解な言葉があふれていますが、晩年は表現が優しく、簡明になりました。私の友人が、小林秀雄の中では「美を求める心」が一番だろうと電話で話したのを鮮明に憶えています。

 

小林秀雄自身が言っていますが、ここに書かれているようにリズム良く語っているわけではなくて、後から何度も何度も書き直すそうです。そうすることで、歯切れの良い文章を生み出しているのですね。

 

こういうレベルまで行き着けば、「です・ます調」と「だ・である調」を統一する必要など、まったくありませんし、そんなことは恥ずかしくて、言えなくなってしまいます。