映画「花影(かえい)」を初めて鑑賞。
「花影」は、1961年12月9日に公開された日本の映画。
監督は鬼才・川島雄三。
原作の大岡昇平の小説「花影」は買ったが、読了できなかった記憶がある。
小林秀雄が絶賛していたので、購入したのだが、まだ二十代だった私には理解できなかったのだろう。
この映画も、大人でないと決して、味わえない作品と言えそうだ。
銀座のホステスを主人公にした物語
何よりも先に述べなければいけないのは、この映画「花影」は、銀座のホステスが主人公だということだ。
かなり難しい物語設定だと思うが、川島雄三監督は、見事に作品として独自の美意識で昇華させている。
川島雄三監督は、審美的な作品にしていることに私は舌を巻いた。
ヒロインの池内淳子に「私はきれいなうちに死ぬの」と言わせているが、川島雄三監督は、この言葉を引き受けてというか、この宣言を作品として象徴化してしまったのだから凄い。
成瀬巳喜男監督にも、銀座のホステスを主人公にした映画作品がある。それが「女が階段を上る時」だ。
増村保造監督が若尾文子を美の象徴としたように、川島雄三監督は池内淳子を…
映画「花影」を論評するなら、2点に尽きる。
1つは、主演の池内淳子のあまりの美しさだ。
その美しさを表現したのは、川島雄三監督の才気である。
池内淳子といえば、幼い頃、テレビドラマ「女と味噌汁」に出ていた池内淳子が懐かしい。あとは、映画「男はつらいよ」で薄幸の女性を演じていたのが印象的なくらいだ。
それにしても、川島雄三監督のセンスが光っている。
川島雄三監督の映画は、当ブログでは以下の三作をレビューしてきた。
洲崎パラダイス赤信号(1956年)
わが町(1956年)
幕末太陽傳(1957年)
「洲崎パラダイス赤信号」を見た時、女の描き方が実に上手いと思ったのだが、今回の「花影」でも、川島雄三調とでも呼びたくなる、女性美を描き出す独特のスタイルに息をのんだ。
女性美を描き出す達人といえば、思い浮かぶのは、溝口健二監督と成瀬巳喜男監督だ。
増村保造監督は、溝口健二監督の女の描き方に飽き足らなかったらしいが、川島雄三監督は、成瀬巳喜男監督の女性描出法に満足していたはずはないと確信した。
新しいのだ。溝口健二も、成瀬巳喜男も、川島雄三と比べると、あまりにも古い。
ちなみに、川島雄三は、島津保次郎、吉村公三郎、小津安二郎、野村浩将、木下惠介らの助監督をつとめている。
川島の作風は、成瀬巳喜男が一番似ているとも思うのだが…。
文芸風作品が多いこと、女性の描き方が丹念で叙情豊かなところが、成瀬巳喜男と川島雄三は共通点があることは確かだ。
『女は二度生まれる』『雁の寺』『しとやかな獣』の3作品で若尾文子の主演映画を制作ししているので、ぜひ機会があればレビューしてみたい。
増村保造監督は「妻は告白する」や「赤い天使」など、若尾文子を主演とした映画を数多く制作したが、川島雄三監督は、どのように若尾文子の魅力を引き出したのか、非常に興味がある。