夜明けを待つ~風花未来の詩43

風花未来の今日の詩は「夜明けを待つ」です。

 

夜明けを待つ

 

賢者の後ろ姿が

見えたと思うが早いか

一瞬のうちに消え去った

 

進むべき道を教えよ

と問いたかった

人生の師も

私から遠ざかって行った

 

抗がん剤投与は

2週間だけ休みとなった

激しい副作用の苦しみはないが

発疹などの後遺症が

いや 眼に見えない何かが

じわじわと私の首をしめてくる

しつこく皮膚を犯しつづける湿疹は

私の肉体の老廃物だけでなく

心の迷い、弱さ、汚濁、邪気などが

噴き出ているのではないか

 

暗く曲がりくねった

細い道を

とぼとぼと往くように

私の足取りは心ぼそい

途方に暮れて

夜空を見上げても

星ひとつ見えない

 

沈黙が重すぎる

だが しかし

私は幻の影を追い求めない

 

風よ 吹いてこい

私のこよなく愛する帽子を

吹き飛ばすほど

激しく 狂おしく

私の前途から吹いてこい

 

私が求めるのは幻影ではない

私が詩にした

天使も

スワンも

まどか愛も

夢幻ではない

 

現実よりも確かな存在

 

やわらかく

しなやかで

時に厳しく

かぎりなく温かいものは

今は眼に見えないが

どこかに息づいている

 

やがて

夜が明ければ

かぎりなく温かいものは

透き通った光となって

私を包んでくれるだろう

 

だから

今は闇の底で独り

心を澄まして

じっと

夜明けを待つ

幻ではない

確かな力を信じて

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映画「華岡青洲の妻」は、市川雷蔵・若尾文子・高峰秀子の演技が秀逸。

映画「華岡青洲の妻」を観た。増村保造監督がシリアスに真正面から描いており、見ごたえは充分であった。

 

映画「華岡青洲の妻」は、1967年に公開された日本映画。

 

監督は、増村保造。主演は市川雷蔵若尾文子高峰秀子

 

映画「華岡青洲の妻」はこちらで視聴可能です

 

なかなか評価し辛い作品となっている。映画全体は格調高く、脚本も演出を練られており、たいへん優れていることは確かだ。

 

しかし、どこがどのように素晴らしいのか、と問われると、実に評しにくいのである。

 

おそらくは、テーマが分散しているだめだろう。

 

名女優である高峰秀子の演技はすごいのだが、それがメインでは決してない。

 

市川雷蔵が演じた名医である華岡青洲の人間像も魅力的に描かれているが、どこか中途半端な感じがした。

 

では、事実上の主役である若尾文子は、どうだろうか?

 

これもまた、掘り下げが今一つ足りないのである。

 

おそらく、増村保造監督は、市川雷蔵、若尾文子、高峰秀子、この三人の人間関係劇として描き語ったのだろう。

 

実際、そうなっている。しかし、これでは、映画として見どころが分散してしまい、どういう映画なのか、どのように感動したら良いのか、迷ってしまい、没入感と鑑賞後のカタルシスが弱くなってしまった。

 

作品としては成功していないが、増村保造監督の力量は大したものだ、ということは再認識できた。

 

増村保造監督のファンなら、必見の映画と言えるだろう。

 

 

 

 

岡本喜八監督の映画「姿三四郎(1977年)」は角川映画を観ているようなポップな仕上がりが新鮮で…

1977年に公開された映画「姿三四郎」は、これまで5回映画化された「姿三四郎」の中で最も新しい作品である。

 

つまり、1977年以降、この「姿三四郎」は映画化されていないのである。

 

監督は岡本喜八、主演は三浦友和

 

「姿三四郎」という物語そのものが好きであること、また岡本喜八監督の手腕を高く評価していること、この2点の動機から、岡本喜八監督の映画「姿三四郎」を鑑賞してみた。

 

岡本喜八監督の映画「姿三四郎」はこちらで視聴可能です

 

古典的な古い物語を、現代的にアレンジしようとして、余計に古くなってしまった感じを受けた。

 

まるで角川映画を観ているような、軽いタッチは、いかがなものかと思った。

 

あの名作「日本のいちばん長い日」の監督とは思えない、軽妙さは、岡本喜八の才気の一面であることは理解できる。

 

日本のいちばん長い日」のレビュー記事はこちら

 

しかし、やはり、これは失敗作ではないだろうか。

 

個々には見どころがかなりあるだけに、せめて、姿三四郎の心理の掘り下げをキッチリやってほしかった。

 

ただ、私としては、岡本喜八監督を敬愛しているので、この映画を観られたことは貴重な体験となった。

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