奇跡、天使とスワンが……~風花未来の詩45

今日の風花未来の詩は「奇跡、天使とスワンが……」です。

 

奇跡、天使とスワンが……

 

副作用が強すぎたので

抗がん剤投与が

2週間の休止となり

今日はその再開の日

 

血液検査

問診票の記入

体温、血圧、体重の測定

皮膚科の診察

薬剤師と主治医との面談という

過密なスケジュールが終わると

私は化学療法室に入った

 

私の眼の前に

いきなり

あらわれたのは

なんと

天使だった

 

抗がん剤投与という

厳かなる儀式がはじまる

 

天使はじっと

私を見つめている

 

いろいろ悩んだ末に

化学療法の再開を

受け入れた私だったはずだ

しかし

今朝起きた時からずっと

私は私の意志とは離れて

ここまで来たような気がする

 

その日

奇跡は起きた

 

その奇跡は

おそらくは

私の癌が完治する

それ以上の

思いもかけない

奇跡に違いない

 

天使は化学療法室に入ってから

そこを出るまで

ずっと私に寄り添ってくれた

 

天使は天国からの使者かもしれない

 

天使は天上界と地上界を

自由に行き来し

私が天上界に近づこうとすると

天使は姿をあらわすのだろうか

 

天使に化学療法室で逢ったのは

これが初めてではない

だが 最初から最後まで

私に付き添うように

しかも

その澄み切った瞳で

ずっと見つめ続けてくれたのは

初めてだった

 

本当の驚きは

厳かなる儀式が

終わった時に来た

 

化学療法室を出るのを

天使は見送ってくれたのだが

その時

天使は

スワンでもあると

気づいたのだ

 

スワンは

私にとって永遠の謎だった

 

スワンは

いつからか

私の心の奥深くにある

森の中の湖に

まえぶれもなく

棲みついてしまった

 

スワンは私の

遠いとおい憧れであり

幻のようだけれども

地上界の過酷な現実以上に

私を狂おしく

支配してきた

怖いほどに美しい

確かな実体だとも思える

 

そして

余命3ヶ月の宣告を受けてから

一度だけ

スワンを見た

 

その時に

スワンの姿は

鮮明に見えたのに

スワンは

私の心が生み出した幻影なのか

異界からの訪問者なのか

それとも

私が無意識に切望してきた

本当の私自身

その化身なのかもしれない

というふうに

スワンの正体の

答えは出なかった

 

「いっしょに……」

 

語尾がよく聞き取れなかったが

天使の最後にくれた

「いっしょに」という言葉が

外に出てからも

胸の奥に反響していた

 

その時

天使はスワンだ

と気づいた

 

「いっしょに」

 

今もなお

胸の中で響く

あの声を

私は……

 

風花の詩でひんぱんに登場する「天使」「スワン」「ホワイトエンジェル」も、一読して「何のこと?」と疑問を抱かれたのではないでしょうか。

 

「スワン」については以下の詩で記述しておりますので、ご参照ください。

 

「スワン~風花未来の詩20」はこちら

 

以下の詩において「天使」「スワン」「ホワイトエンジェル」のそれぞれの意味について、まとめて開示しておりますので、ご確認くださいませ。

 

ホワイト・エンジェル~風花未来の詩50

 

以下は「天使」「スワン」「ホワイトエンジェル」が登場する詩です。

 

※時系列で古い順にご紹介します。

 

スワン~風花未来の詩20

 

天国からの使者~風花未来の詩21

 

天使ふたたび~風花未来の詩32

 

天使が消えた夜~風花未来の詩35

 

眠りの森~風花未来の詩36

 

不思議の国~風花未来の詩42

 

夜明けを待つ~風花未来の詩43

 

奇跡、天使とスワンが……~風花未来の詩45

 

ホワイト・エンジェル~風花未来の詩50

 

愛について、リルケの詩への回答~風花未来の詩51

 

天上界との交信~風花未来の詩53

 

魔法が解ける日~風花未来の詩62

 

神からの試練か~風花未来の詩63

 

「天使」は風花未来の現在の詩想の重要な源泉の一つとなっておりますので、以上の風花未来の詩作品をお読みいただけたら幸いです。

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友だち~ドラマ「若者たち 17話」で朗読される詩

連続テレビドラマ「若者たち」の第17話「友だち」で朗読された詩をご紹介する。

 

友だち

 

言うまでもなく素晴らしい

黒い瞳の俺の友だち

 

太陽に向かって旗を押し立て

足音を立てて歩いてゆく

幾十万の俺の友だち

 

君たちの旗を遠い遊星に立てろ

新しい世界の真ん中に立てろ

 

健康を誇る若者よ

幸福を運ぶ若者よ

 

形がないのに君たちには見える

音がないのに君たちには聞こえる

 

あの希望という名の不確かな星を

謙虚に勇敢に追い求めてゆけ

 

移ろいやすい疑惑で

その旅を汚すな

 

悔恨の吐息で

その旅を終わるな

 

険しい闘いの時が

蟷螂(とうろう)の斧を押し砕き

毎日見る間に押し流して行っても

時の間の敗北が

君たちのある日を暗闇にしても

音を立てて今地球が回っていることを忘れるな

 

僕たちは僕たちの錯乱を信じよう

ざまもない失敗を堂々と誇ろう

 

未来は真っ白な手帳のようだ

新しく始まる音楽のようだ

 

風や雲やかげろうのように軽く

海や大きな嵐や大きな河のように力強く

僕たちは僕たちの車を押してゆく

もっと緑濃い森の中に

もっと伸びやかな人間の世界に

 

言うまでもなく素晴らしい

真っ黒い瞳の友だちよ

懐かしい友だちよ

見知らない兄弟よ

 

※「蟷螂(とうろう)の斧」とは《カマキリが前あしを上げて、大きな車の進行を止めようとする意から》弱小のものが、自分の力量もわきまえず、強敵に向かうことのたとえである。

 

ドラマの最後に山本圭がこの詩の朗読するのだが、鳥肌が立つほど素晴らしい。

 

詩「友だち」の朗読はドラマ「若者たち17話」で視聴可能です

 

1960年代で、社会問題を考え、日本の将来を考えぬいた時、この「友だち」という詩以上の希望の歌は書けなかったのではないか。

 

この「友だち」は、テレビドラマおよび映画の「若者たち」の究極の訴えであると、強く感じた。

 

重要なのは、この「若者たち」と現代をつなげることだ。

 

時代が違うよ、で片づけるのではなく、想像力の翼をマックスに広げて、1960年代の一部の青年の心に肉体に息づいていた、知らか強い息吹を現代において再呼吸することなしに、現代における真の希望は紡ぎだせないとさえ思うのである。

 

1970年代、日本は60年代とはまるで違う風景に染め変えられてしまう。

 

その後、現代まで、日本は進化したのか?

 

インターネットなど、便利化のテクノロジーは営利目的に普及されたが、逆に人間性の退化はすさまじく進んでしまったと私は痛感する。

 

私の余命はあとわずか、私なりに「希望」を紡ぎ出したという「希望」は抱いている。

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五月の風の中~ドラマ「若者たち 第16話」で暗唱される詩

テレビドラマ「若者たち」の第16話「五月の風の中」で暗唱される詩が実に良いので、ご紹介しよう。

 

題名はドラマ中では明かしていないので、ここでは仮に「五月の風の中」としておく。

 

五月の風の中

 

ある日

少年は若者になった

そしてまた ある日

少女は大人になった

それは五月のある日

 

それは五月

草は草となり

虫は虫となり

太陽は太陽となる

五月のある日

 

それは五月のある日

少年は若者になった

少年は長い膝を持て余し

苛立たし気に 長い指を鳴らす

肩をすぼめ 眼をふせて

五月の風の中

少年は恥ずかし気に歩く

 

それは五月

草は草となり

虫は虫となり

太陽は太陽となる

五月のある日

 

それにしても、この詩、いったい誰が書いたのだろうか?

 

いろいろ検索しても、全く作者がわからないのだ。

 

脚本家が書いたのだろうか?

 

知っている人がいたら、ぜひとも、教えてもらいたい。

 

少年や少女が大人に目覚めるとき、それを詩にしているんですが、極めて興味深いけれども、けっこう難しいテーマだろう。

 

と言いながら、これくらいの詩は自分でもいつでも書けるよ、と私が今、二十歳の文学青年だったら大ぼらを吹くだろうと思っている私がここにいる。

 

書けそうで書けないのが、優れた詩の条件かもしれない。

 

自分でも書けそうだ、と感じるということは、その詩に共感しているからに違いない。

 

自分もそう感じる、確かにそう思えると、その詩を追体験して、自分でも書けそうな気になっているのだ。

 

今の私は自分でも簡単に書けるとは思わない。

 

第一、この詩は、このドラマ「五月の風の中」に内容に、ジャストフィットしている。

 

ドラマの内容の合わせて、詩を書き、その詩で物語を味付けしているのかもしれない。

 

だとしたら、相当な書き手である。

 

「五月の風の中」の暗唱はドラマ「若者たち」の16話でどうぞ

 

今の私はこのように評論家じみたことを書いている自分が嫌なのだ。

 

素直に「五月の風の中」というタイトルで、自分の詩を書いてみたいと思い始めている。

 

ただ、今は2月5日、5月まで生きられるだろうか、それが問題だ。

 

もちろん、5月にならなくても、想像で書けるだろうけれど、実際に「五月の風」に吹かれながら、書いてみたいのである。

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