周防正行監督の映画は、独自の映画センスがあって、そのセンスの良さをこれまで味わってきました。

 

周防監督の映画作品は、以下のとおりです。

 

変態家族 兄貴の嫁さん(1984年)

マルサの女をマルサする(1987年)

マルサの女Ⅱをマルサする(1988年)

ファンシイダンス(1989年)

シコふんじゃった。(1991年)

Shall we ダンス?(1996年)

それでもボクはやってない(2007年)

ダンシング・チャップリン(2011年)

終の信託(2012年)

 

今回、DVDで鑑賞した「終の信託(ついのしんたく)」の感想を書こうと思ったのですが、たぶん、まともなレビューにはならないと感じています。

 

いつもそうなのですが、非常に偏った、勝手な観方をしたしまったので、しっかりとした映画批評とは、とてつもなく、かけ離れたものになってしまうと、最初から、確信してしまったのです。

 

「安楽死」とか「尊厳死」の問題を、正面から見据えた映画作品、という視点からですと、それほど力は強くありませんし、魅力も薄いでしょう。

 

もちろん、水準以上ではあるのですが、「尊厳死」を主テーマとして作るのならば、もっと違った描き方があったと思います。

 

「安楽死」をテーマにした物語を望むならば、原作となった小説を読むべきかもしれません。私は未読ですが、こちらに⇒終の信託 [ 朔立木 ]

 

これは私見ですが、「終の信託」は、患者を苦しまないように早めに死なせてしまった女医の物語というスタイル(器)を借りた、周防正行の人間抒情詩だと思います。

 

映画というよりも、詩です。映像詩という言葉は使いたくありません。言葉が生きているから。

 

生きている言葉、そのほとんどを、患者役を演じた役所広司が、語っています。

 

もっとも美しいシーン、美しい言葉が紡ぎだされるシーンは、女医役の草刈民代と役所広司が堤防から川を眺めるシーン。

 

まるで、自分の体が、空に舞い上がってゆくみたいで……水面と空とが解け合う国にゆきたい……というふうなことを語る時の役所広司の演技は素晴らしい。そして、語られる言葉は、明るい光を帯びていました。

 

レンタル店に返す前に、このシーンを繰り返し観てみたいと思います。

 

仮面を想わせる草刈民代の表情も、この映画の器の一つだと想えば苦になりません。

 

この映画は人間抒情詩だと感じたこと。そのことで、この映画は、安楽死がメインテーマではなく、実は「生きていること」が主題なのだと思えてきました。

 

昇天を夢見ながら、生きている人間の姿。その描き方の独自性に、この映画「終の信託」の価値はあるのではないでしょうか。

 

最近、というか、この映画を観る前に、主人公の患者と同じようなことを想っていたのです。水平線と空とが溶け合う、安らかな国へ旅立ちたいと。昇天……それは、私の悲願でもあるのですが……。