八島藤子(栗原貞子)の「私は広島を証言する」というをご紹介。

 

 私は広島を証言する

 

生き残ったわたしは

何よりも人間でありたいと願い

わけてひとりの母として

頬の赤い幼子や

多くの未来の上にかかる青空が

或日突然ひき裂かれ

かずかずの未来が火刑にされようとしている時、

それらの死骸にそそぐ涙を

生きているものの上にそそぎ

何よりも戦争に反対します。

母がわが子の死を拒絶するそのことが

何かの名前で罰されようと

わたしの網膜にはあの日の

地獄が焼きついているのです。

逃げもかくれもいたしません。

 

一九四五年八月六日

太陽が輝き始めて間もない時間

人らが敬虔(けいけん)に一日に入ろうとしているとき

突然

街は吹きとばされ

人は火ぶくれ

七つの河は死体でうずまった。

地獄をかいま見たものが

地獄にちて語るとき

地獄の魔王が呼びかえす物語があったとしても

わたしは生き残った広島の証人として

どこへ行っても証言します。

そして「もう戦争はやめよう」と

いのちをこめて歌います。

 

栗原貞子(八島藤子)のプロフィール

 

栗原貞子(くりはら さだこ)は、1913年3月4日に生まれ、2005年3月6日に死去した。

詩「私は広島を証言する」は、八島藤子というペンネームで書いた。

 

峠三吉などの原爆詩人の一人。「生ましめんかな」や「ヒロシマというとき」で知られる。

 

広島県広島市生まれ。可部高等女学校(現広島県立可部高等学校)在学中の17歳から、短歌・詩を中心に創作活動を始めた。1930年、山本康夫が広島で創刊した歌誌『処女林』(1932年に『真樹』に改題)の同人となる。1945年8月6日(広島市への原子爆弾投下)に爆心地の4キロ北の自宅で被爆。

 

戦後は夫の栗原唯一とともに執筆活動を行い、平和運動に参加し、反戦、反核、反原発、反差別、反天皇制を主張、特に昭和天皇の戦争責任を言及しており、「戦前・戦中派にとって天皇絶対主義の恐怖は母斑のように肉体にしみついている。天皇制は日本人にとっての原罪である」と述べている。

 

1990年第3回谷本清平和賞受賞。

 

2005年3月6日老衰のため広島市内の自宅で死去した。92歳。遺志を継いで護憲の活動をしている栗原真理子は長女。

 

詩「私は広島を証言する」の感想

 

技巧を放棄した真っすぐな語りだからこそ、強く胸に響き、腹に深く沁み込む。

 

原爆を題材とした詩を、私は「日本の名作詩ベスト100」で数多く選んだ。

 

反戦の意図が第一義ではない。詩として、言葉として強いからだ。人間がそこにいるのを激しく感じるからだ。

 

こうした詩には、解釈や理屈は要らない。嗚咽に耐えながら、繰り返し読みつつ、心に刻み込むしかない。

 

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