「虹と雪のバラード」は、1972年札幌オリンピックのテーマソングですが、今もなお、多くの人たちに愛され続けている名曲中の名曲です。
私が初めてこの曲を聴いた時に感じたのは、歌詞の素晴らしさでした。ハッとするようなフレーズがいくつもあり、深い感銘を受けたのを今でも鮮明に憶えています。
しかし、この楽曲のこの歌詞はどこがどのように優れているのかについては、深堀してこなかったのです。
そこで、今回は「虹と雪のバラード」の歌詞について、少しく考えてみることにします。
この曲の作詞を手がけた河邨文一郎(かわむら ぶんいちろう)氏は、専業の作詞家や歌謡曲の作家ではありません。
日本現代詩の重鎮たる「詩人」であり、同時に国際的な実績を持つ高名な「整形外科医(医学博士)」という、類まれな二足の草鞋を履いた人物でした。
彼の類まれな経歴と、「虹と雪のバラード」の歌詞に込められた背景を知ると、あの独特で美しい世界観により深く納得していただけるはずです。
- 「二つの顔」を持つ天才
河邨文一郎氏は1917年に北海道小樽市に生まれ、北海道帝国大学(現在の北海道大学)医学部を卒業しました。彼の人生は、「医学」と「文学」のトップランナーとして並走し続けました。
- 高名な整形外科医として
- 札幌医科大学の整形外科初代教授を務めました。
- 特に、小児麻痺(ポリオ)の後遺症に苦しむ子どもたちの治療に生涯を捧げ、「河邨式脚延長術式」という画期的な手術法を開発。
- 北海道の「肢体不自由児の父」と称されるほど、医療・福祉の世界に偉大な足跡を残しています。ちなみに、のちに医師から作家に転向した渡辺淳一氏は、大学教授時代の彼の教え子にあたります。
- 硬派な現代詩人として
- 学生時代に大詩人・金子光晴に衝撃を受けて弟子入りし、生涯にわたり親交を結びました。
- 戦後は多くの詩集を発表し、「日本詩人クラブ賞」を受賞するなど、文学界でも確固たる地位を築いた現代詩人です。
- また若い頃には、その反戦的な思想から特高警察に検挙された経験も持っています。
- 「影たちが飛び去るナイフのように」に宿る詩人の目
五輪開幕2年前の1970年、NHKは河邨に作詞を依頼する際に、以下の要望を伝えました。
- 1)イベントが終わっても長く歌い継がれるもの。
- 2)オリンピックを待ち焦がれる札幌の人たちの心情を表していること。
- 3)重々しい式典風のものではなく、屋根裏の落第坊主がギターを爪弾いて歌え、なおかつ、何千人もの合唱に耐えうること。
河邨氏は単なるスポーツの応援歌ではなく、「雪国に生きる人々が、氷雪の風土を共にするもの同士として無意識に抱く連帯感」を表現しようとしました。それが、世界とはるかな国々を繋ぐ「虹」になるというイメージです。
特に印象的なのが、2番の歌詞にある以下のフレーズです。
「雪の炎に ゆらめいて 影たちが 飛び去るナイフのように
空がのこる まっ青な空が あれは夢? 力? それとも恋」
これは、スキージャンプの選手たちがジャンプ台から真っ青な空へと飛び出していく、一瞬の閃光のような肉体の躍動を詩的に切り取ったものでしょう。
この言葉の連なりを書ける詩才には、驚嘆せざるをえません。
オリンピックを「国家の戦い」ではなく、極限に挑む人間の「命の輝きや美しさ」として捉える視点は、人間の肉体を見つめ続けた外科医であり、言葉のプロである現代詩人・河邨文一郎だからこそ生み出せた芸術と言えます。
単なるイベントの流行り歌に終わらず、半世紀以上が過ぎた今もなお、合唱曲として日本中で美しく歌い継がれているのは、彼のこうした深い人間愛と鋭い感性が言葉の奥底に流れているからに他なりません。


