坂村真民の詩「あ」の感想

以前にアップしたました「坂村真民の詩『七字のうた』」という記事へのアクセスの多さに驚いています。坂村真民(1909年1月6日 - 2006年12月11日))という詩人への関心は、意外にもかなり強いのですね。

 

私が持っている坂村真民の詩集は2冊です。前回ご紹介した「念ずれば花ひらく」と今回取り上げます「二度とない人生だから」。

 

この「二度とない人生だから」を読み進んでゆきますと、書かれた言葉はすべてが坂村真民の言葉であり、それは決して借り物ではなく、頭でこねくり回して出てきた言葉でもなく、坂村さんの生き様のあるがままの反映だと感じます。

 

ただ、多くの詩集がそうであるのと同様に、詩としては必ずしも成功していない詩篇も存することは否めません。

 

坂村真民は仏教徒でした。その影響が詩篇に滲み出ているので、信仰を持たない私には少し違和感を覚える部分があります。

 

八木重吉はキリスト教徒でした。八木の場合も、詩編に信仰は反映されています。若い時には八木重吉の詩集を愛読していたにもかかわらず、そうした宗教色が、気にかかったものでした。

 

私は宗教に無縁です。そういう世界から意識的に距離をおいてきたとも言えます。ただ、最近になって思うのは、信仰を持たなければ、自由さを享受できますが、その分、心細さも覚えるということ。

 

今さら、何らかの宗教を信仰しようとは思いませんが、この人生において信じるものは持っていないと、不安でたまりません。

 

ですから、思想というと大げさかもしれませんが、軸というか、指針というか、そういうものは立てておくべきだと痛感しています。

 

そうした軸がブレますと、自分の足取りに自信が持てなくなり、世界観が暗くなってしまうでしょう。

 

坂村真民と、「行為の意味」の詩人・宮澤章二との共通項は、倫理的であることです。

 

「生きてゆく上での信条を明らかにしている」、その1点において、2人の詩人は響き合っています。

 

さて、今日ご紹介する詩は、そうした人生観的な詩ではなく、宗教とか思想などとは関係なく、詩として珠玉の出来栄えを示している佳作です。

 

「あ」という、たった一文字のタイトルの詩。

 

 

 

一途に咲いた花たちが

大地に落ちたとき

“あ”とこえをたてる

あれをききとめるのだ

つゆくさのつゆが

朝日をうけたとき

“あ”とこえをあげる

あれをうけとめるのだ

 

「あ」という詩について、動画でもお伝えしました

 

詩人の定義にはいろいろありますが、一つには「発見力」があります。俗世の「うねり」に身をまかせていますと、大切なものが見えなくなり、本来は最も愛していたものさえも失ってしまうこともあります。

 

ところが、詩人は、そうした忘れかけていた大事なものを、再発見して目の前に示してくれるのです。

 

上の詩も、こういう表現はなかなかできませんが、作者と同じように感じることは誰でもできますよね。

 

『あ』という詩が示してくれている、「初々しい、おののき」の感覚を大切にしてゆきたいものです。

 

それと、優れた詩が私たちに求めるのは「澄ますこと」です。耳を澄ます、眼を澄ます、そして、心を澄ます。

 

澄まさねば、真実はその正体を私たちに明かしてはくれません。

 

そのことも、名作詩は教えてくれているようです。

サトウハチローの詩「長崎の鐘」

サトウハチローの「長崎の鐘」というをご紹介します。

 

少し前に書きました「サトウハチロー「小さい秋みつけた」の言葉力」という記事のアクセスが日ごとに増えているようです。季節がまさに秋であるからでしょうか。

 

今回は、サトウハチローの詩を、もう一つ取り上げます。

 

「長崎の鐘」という曲をご存知でしょうか。これも名曲です。作曲は古関裕而(こせきゆうじ)。

 

「長崎の鐘」の歌詞はこちら

 

長崎市に原爆が投下されたのは、 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分でした。

 

「長崎の鐘」という本を読まれた方はいるでしょうか。カトリック教徒であった医学博士・永井隆氏が書いた被爆体験記録。1949年1月に出版され、ベストセラーとなりました。

 

これを受けて、同じ年の1949年7月にコロンビアレコードから発売されたのが、歌謡曲「長崎の鐘」だったのです。「長崎の鐘」は松竹で映画化もされています。

 

⇒映画「長崎の鐘」についてこちらの記事をご覧ください。

 

この「長崎の鐘」という歌詞は、ワンコーラスめで、心奪われてしまいます。

 

 

こよなく晴れた 青空を

悲しと思う せつなさよ

うねりの波の 人の世に

はかなく生きる 野の花よ

 

どうして、こういう歌詞、詩が書けるのか。また、長い年月を越えて、激しく打ち寄せてくるものが感じられるのは、なぜなのか。

 

永井博士の辞世の句「光りつつ 秋空高く 消えにけり」を読んで、サトウハチローは、この歌い出しの歌詞をイメージしたのかもしれません。

 

いや、そういうことは、おそらくは問題ではなくて、究極の試練を受けた人々が、再び希望を抱いて歩き出す時、どれくらい「歌」が、「言葉」が、励ましとなり、勇気となったか、それを想像してみることに意味があると思うのです。

 

苦悩の質と量の違いはあるにせよ、難しい時代であることは当時も今も、変わりはないでしょう。しかし、今が当時と決定的に違うは、励ましとなる歌、勇気を与えてくれる言葉が、ラジオのスイッチを入れても聞こえてこないことです。

 

「リンゴの唄」や「長崎の鐘」について、語り継いでくれる人さえ、いなくなってしまいそうなのです。

 

戦後日本の不幸は、それは一つの運命なので仕方がないのですが、詩文学の衰弱にあったと思うのです。明治から戦前まで、日本の詩文学は隆盛を示しました。

 

戦後の現代詩は多くの人々を魅了する力は持ちえず、言葉の旺盛な生命力は、文字文化としての詩ではなく、楽曲として歌われる詩の方に引き継がれたと言えるのではないでしょうか。

 

サトウハチロウーの詩集を読むと言葉の健やかな力に驚かされます。

 

原爆をテーマにした詩と映画はこちらに

ボールは丸い【ゼップ・ヘルベルガーの名言】

今回、取り上げる名言は、これです。

 

ボールは丸い。

 

ボールは丸い」は、サッカーが好きな人ならば、必ず聞いたことがある言葉ですよね。

 

もちろん、私も知っていましたが、実は、サッカーの神様と呼ばれたペレの言葉だと思っていました。ジーコも言っていた気もします。

 

この言葉の生みの親は、ドイツサッカー生みの親と呼ばれるゼップ・ヘルベルガーさんだそうです。

 

「ボールは丸い」という言葉は短いので、いろいろと解釈できます。含蓄があって良いなぁと思うのですが、実際は、もう少し長いのです。

 

ボールは丸く、試合は90分。総ては単純な論理である。

 

ここまで言われてしまうと、ちょっと意味が限定されてしまいますよね。

 

それでも、やはり、名言だと思います。というか、やはり、上のロングバージョンの方が良いですね。

 

丸いボールは、予期せぬドラマを予感させますが、その対照として「論理」という言葉が効いています。

 

限られた制約の中で、全力を尽くしましょう、最後まで可能性を信じて……というくらいの意味でしょう。

 

さらに驚いたことには、ゼップ・ヘルベルガーさんは、以下の素晴らしい名言をも遺しています。

 

試合終了の笛は、次の試合開始の笛である。

 

デッドマール・クラマーさんの言葉だと思っていたんですが、ゼップ・ヘルベルガーさんだったのですね。

 

それにしても、本当に言葉のセンスが良いですね。核心をついていて、意味に広がりがあり、そして美しい。