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山本周五郎「赤ひげ診療譚」中の「狂女の話」。その筆力には気負いのない凄みがある。

山本周五郎

山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」を久しぶりに読み返している。職を転々としていた二十代の頃、夢中になって読み込んだのが、山本周五郎の小説群であった。

 

長編小説の「樅ノ木は残った」は私が最も敬愛する作品である。しかし、山本周五郎はやはり短編小説の方が優れているという思いが消えない。

 

今回取り上げる「赤ひげ診療譚」は、八つの短編で構成されているから、これもまた短編小説と言えるだろう。

 

山本周五郎の作品年表を見ていて、ハッとした。

 

 

樅ノ木は残った (1954-58年)
赤ひげ診療譚 (1958年)

 

 

山本周五郎は、1903年生まれだ。年齢的にも最も脂がのった時期に、私が最も高く評価する2つの作品が続けて生み出されていたのである。

 

今日取り上げるのは、第一話「狂女の話」。

 

「赤ひげ診療譚」の最初の一編「狂女の話」の筆力は凄い。「凄い」という意味は、力強いとか、鬼気迫るとか、そういう感じではない。むしろ、その逆である。

 

この極めて優れた短編小説には、気負いがない。肩の力は見事にぬけている。余計な細部の書き込みもない。大げさな表現も、過剰に詩的な比喩もありはしない。だからこそ「凄み」を感じるのだ。

 

「狂女の話」は七つの章でできているが、圧巻は最終章である。

 

最終章の後半は、周五郎節の真骨頂が味わえる。夢の現実が交錯しているかのような場面。この特殊な演出を、よくぞ思いついたものだ。しかも、よくぞここまで、気張らないで過不足なく描写できなものである。

 

これが長年にわたって小説を書いてきたものだけが到達できる、小説話法の境地であろう。

 

久しぶりに読み返して本当に良かった。いきなり、小説の醍醐味が楽しめたからだ。

 

そして、人間というものは一筋縄ではいかぬ、いかんともしがたい摩訶不思議な生き物だということを、生々しく再認識できた。

 

これぞ、まさに、小説である。

黒澤明の映画「赤ひげ」をクリスマスに見る理由

黒澤明 - 山本周五郎

黒澤明監督の映画「赤ひげ」を見ています。何回も鑑賞しているのですが、いつも新鮮な発見があるのが嬉しいです。

 

見ているというのは、今回はまだ全部を見終わっていないという意味。何しろ、この作品は180分以上もあるので、間に休憩をはさんだ方が、映画に集中しやすい場合もあります。

 

若くて、体力や気力があり余っている時は良いのですが、そうでない場合には、無理して一気に見ないほうが、良いところを充分に味わえる気がします。

 

「赤ひげ」は、1965年(昭和40年)4月3日に公開された日本映画。監督は黒澤明。主な出演は三船敏郎、加山雄三。185分の長編映画。

 

 

原作は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」。

 

物語の舞台は、江戸時代後期の享保の改革で徳川幕府が設立した小石川養生所。

 

原作者の山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめた、名作中の名作です。

 

この「赤ひげ」のテーマの一つに「貧困」があります。病気や不幸の理由は、ほとんどが「貧困」である場合が多いと作中で語られるのですね。

 

以前、クリスマスには、チャップリンの「ライムライト」を見ることに決めていたのです。ところが、今日、TSUTAYAに行ったら「ライムライト」がありませんでした。

 

こういう名作は、借り手がたくさんいなくても、名作コーナーには必ず置いていなければいけないと思うのは私だけでしょうか。

 

ただ、早稲田大学の近くに、名作を中心にそろえていた、ビデオの名画座みたいなレンタル店があったのですが、つぶれてしまったのを知っているので、効率しか考えない大型チェーン店を、一方的には責められない気もします。

 

で、クリスマスに「ライムライト」が借りられないとなったら、なぜか黒澤明の「赤ひげ」を手に取っていたから不思議です。

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山本周五郎の小説「雨あがる」を読んだ感想。

山本周五郎

山本周五郎の短編小説集「おごそかな渇き」の中に収録されている「雨あがる」を興味深く読みました。

 

「おごそかな渇き改版 (新潮文庫) [ 山本周五郎 ]」の中に収められています。

 

懐かしい。山本周五郎は、私の文章修業における師匠でもあります。20代の頃、山本周五郎の小説を耽読しながら、気に入った表現を大学ノートに夢中で書き写していた時代が懐かしい。

 

甘酸っぱく、また塩辛い、文学青年時代が鮮やかによみがえります。

 

さて、今回読んだ「雨あがる」の感想ですが、あまり書くことがありません。

 

山本周五郎という作家が描き出したい人物像、つまり、世の中と折り合いがつかないけれども、自分の信念や価値観を曲げない、純粋な生き方を貫いている人間が、生き生きと書かれていました。

 

「雨あがる」は映画化もされていて、先日、その感想を書いたのです。

 

こうした人物は、山本周五郎にはたくさん出てくるので、珍しくはありません。

 

ただ、その描き方が、素晴らしい。

 

素晴らしいという意味は、いつも新鮮な発見があるということではなく、むしろ、ワンパターン、マンネリ化の美学が味わえること、それが貴いのです。

 

書き方が、描き方に、浮ついたところが微塵もない。地に足がピタリとついて、着実に、淀むことなく、しかも、上滑りすることなく、温かい筆致で描出されています。

 

そういう意味で、文章が素晴らしいのです。

 

人物造形がうまいだとか、比喩が巧みだとか、そういうこともあります。

 

ただ、それよりも何よりも、山本周五郎の美意識(人生哲学)とぴったり重なる人物像が、山本周五郎自身が呼吸するように、自分の歩幅で歩行するように、ごく自然に描き出されていることに驚嘆せざるをえません。

 

生きることと文章道とが同一になるまで、山本周五郎は小説道を極めた。それが、じんわりと、そして強烈に、こちらに伝わってくる、それが嬉しいと素直に感じました。

 

大いなるワンパターン、気高いマンネリズムにこそ、山本周五郎文学の醍醐味があると、あえて主張したいのです。

映画「いのちぼうにふろう」の原作は、山本周五郎の小説「深川安楽亭」

日本映画(邦画) - 小林正樹 - 山本周五郎

「いのちぼうにふろう」は、1971年9月11日に公開された日本映画。監督は小林正樹

 

 

これまで小林正樹が監督した映画で私が見たのは「美わしき歳月」「人間の条件」「切腹」「上意討ち 拝領妻始末」「怪談」です。

 

いずれも、並々ならぬ映画力を感じさせる傑作でした。

 

そのため、今回の「いのちぼうにふろう」も、見てみることにしたのです。

 

登場人物のギリギリの生き様が感動を呼ぶ。

 

「いのちぼうにふろう」は、山本周五郎の小説「深川安楽亭」を原作としています。

 

物語そのものは単純です。シンプルだから良いのかもしれません。

 

深川安楽亭に集まっている輩は、脛に傷を持っている者たちばかり。信じられるのは自分だけ。自分だけを頼りに生き延びてきた孤独者が、深川安楽亭には集まっている。

 

しかし、そういう者たちが生まれて初めて、赤の他人のために命がけで仕事をすることになるのです。

 

以下は、安楽亭の店主(中村翫右衛門)とその娘(栗原小巻)の会話。

 

「今度だけは、うまく行かしてやりてえもんだなあ。あいつら生まれて初めて、だれかのために何かしようって気になったんだからなあ」

 

あいつら獣のように、いつも自分中心で、それがあいつら業だ、心の地獄だって、いつもおとっつぁん、言ってたわね」

 

中村翫右衛門の名セリフに深い感銘を受けましたので、引用しておきましょう。

 

誰だって、とことん、ぎりぎりまで、生きなくっちゃな。

 

このセリフは、この映画のテーマと呼応しているのです。

 

小林正樹のアートワークの冴えに驚嘆。

 

モノクロームの映像美が素晴らしい。光と影の使い方、カメラアングルの迫力は、半端ではありません。映像に緊張感と品格があり、ワンシーンごとに見入ってしまうのです。

 

小林正樹監督のアートワークは冴えわたっており、邦画の最高峰と評価される黒澤明の時代劇を、ブラック&ホワイトの映像の美しさでは超えたと実感しました。

 

音楽は武満徹が担当。重厚で深みのある映像にピッタリの音楽でした。

 

仲代達也や栗原小巻など、昭和の名優たちが、演技力を競い合う。

 

そして、仲代達也、勝新太郎、佐藤慶、栗原小巻など、昭和の名俳優たちの演技を存分に味わうことができます。

 

特筆すべきは、栗原小巻の父親役を演じた、中村翫右衛門(なかむらかんえもん)の存在感です。名優である仲代達也や勝新太郎に負けない(時にそれ以上の)、重みのある演技を中村翫右衛門は見せていました。

 

ほとんど意識したことがない役者ですが、この「いのちぼうふろう」では実にその存在が効いていました。

 

仲代達也は、はまり役だと断言したいほど、陰影に富んだ圧倒的な演技力を披露しています。正直、黒澤明に出演している仲代達也の演技より、この作品での演技の方が優れていると感じました。

 

そして、最後に強調したいのは、栗原小巻の凛とした美しさです。張り詰めた弦を想わせる、気丈な娘を好演。この「いのちぼうにふろう」で、栗原小巻は昭和を代表する名女優であるという思いを新たにしました。