エフゲニー・エフトゥシェンコ(1932-2017)の代表的な詩であり、後に曲がつけられてロシアの国民的な愛唱歌ともなった「ロシア人は戦争を望むか(Хотят ли русские войны?)」を、ご紹介しましょう。

 

ロシア人は戦争を望むか

 

1.
ロシア人は戦争を望むか?
問うてみよ、広き畑の、
野の上の静寂に、
白樺に、ポプラの木々に
白樺の下眠る
あの兵士たちに問うてみよ
その息子たちが、諸君に答える
ロシア人は望むか、ロシア人は望むか、
ロシア人は戦争を望むか

 

2.
あの戦争で、兵士達が斃れたのは
自らの国のみの為ではない
あらゆる土地の人々が
夜安らかに眠れるようにだ
戦い、エルベで諸君と
抱擁した者達に問うてみよ
我らは、その記憶に忠実だ
ロシア人は望むか、ロシア人は望むか、
ロシア人は戦争を望むか

 

3.
確かに、我らは戦いうる
だが再び戦で
兵士達が苦しみの地に
倒れる事は望まない
問うてみよ、母たちに
問うてみよ、我が妻に
そして、思い知るがいい
ロシア人は望むか、ロシア人は望むか、
ロシア人は戦争を望むか

沖仲仕も、漁師も知っている
労働者も、小作人も知っている
あらゆる国の、人民が知っている
ロシア人は望むか、ロシア人は望むか、
ロシア人は戦争を望むか

 

冷戦下の切実な平和への祈り:エフトゥシェンコ「ロシア人は戦争を望むか」を読む

 

「ロシア人は戦争を望んでいるのだろうか?」

 

この根源的な問いかけをタイトルに冠した本作品は、東西冷戦の緊張がピークに達していた1961年、ソ連(現在のロシア)を代表する詩人エフゲニー・エフトゥシェンコによって書かれました。

 

当時、西側諸国(アメリカやヨーロッパ)の市民の間には「共産主義のソ連が、いつ核戦争を仕掛けてくるか分からない」という強烈な「ロシアの脅威」が蔓延していました。

 

エフトゥシェンコは、そうした西側諸国の人々に向けて、そして自国の指導者たちに向けて、市井のロシア民衆がいかに平和を渇望しているかを、静かに、しかし深い情感を込めて訴えかけました。

 

政治体制や国家間の対立を超えて、人間の普遍的な悲しみと願いを描き出したこの名詩を、3つの視点から読み解いていきます。

 

  1. 物言わぬ自然と、大地に眠る死者たちへの問い

 

ロシア人が戦争を望むかどうか

静寂に包まれた広大な野や畑に尋ねてみるがいい

白樺やポプラの木々に尋ねてみるがいい

あの白樺の木陰で眠る兵士たちに……

彼らの息子たちに尋ねてみるがいい

 

詩の冒頭、エフトゥシェンコは「ロシア人が戦争を望むかどうか」の答えを、政治家や軍人ではなく、ロシアの広大な「自然」と、その大地に眠る「死者たち」に尋ねよと促します。

 

第二次世界大戦(ソ連における「大祖国戦争」)において、ソ連は実に2000万人以上という、世界で最も多くの犠牲者を出しました。

 

ナチス・ドイツの侵攻によって国土は焦土と化し、数え切れないほどの若者が命を落としました。

 

白樺の木の下で静かに眠る戦死者たち。そして、父親の顔を知らずに育ったその息子たち。

 

これほどまでに戦争の残酷さと痛みを骨の髄まで知っているロシアの民衆が、自ら新たな戦争を望むはずがないという、血を吐くような静かな反論がここにあります。

 

  1. 世界の平和のために流された血

 

兵士たちが立ち上がり、命を落としたのは

自分の故郷を守るためだけではない

地球上のすべての人々が

夜、安らかに眠れるようにするためだったのだ

 

続いて詩人は、かつての戦争でロシアの兵士たちが流した血の意味を問い直します。

 

彼らが戦ったのは、他国を侵略するためではなく、ファシズムの脅威から祖国を守り、ひいては世界中に平和な夜を取り戻すためだったのだと歌います。

 

ここには、国家のイデオロギーやプロパガンダを超えた、一人の人間としての兵士たちの純粋な願いが込められています。

 

彼らは「世界を支配するため」ではなく「人々が安心して眠るため」に命を懸けたのであり、その記憶を受け継ぐ者たちが戦争を渇望することなどあり得ないのだと強調しているのです。

 

  1. 妻たち、母たちの涙が語る真実

 

ロシア人が戦争を望むかどうか

母親たちに尋ねてみるがいい

妻たちに尋ねてみるがいい

そうすれば、あなたにも分かるはずだ

ロシア人が戦争を望むかどうか……

 

詩の終盤、問いかけの矛先は「母親たち」そして「妻たち」へと向けられます。

 

いつの時代も、どこの国であっても、戦争によって最も深く、そして長く苦しめられるのは、愛する夫や息子を戦場へと送り出し、帰らぬ人となった彼らを思い立ち尽くす家族たちです。

 

彼女たちの流した涙と、平和を祈る切実な願いの前に、言葉による説明はもはや不要です。

 

彼女たちの悲しみを見れば、答えは自ずと分かるはずだ」。

 

詩人はそう結論づけ、静かに詩を閉じます。

 

まとめ:現代に突きつけられる重い問い

 

エフゲニー・エフトゥシェンコの「ロシア人は戦争を望むか」は、冷戦下において「敵国」とみなされていたロシアの人々もまた、西側諸国の人々と同じように平和を愛し、家族を愛し、戦争の悲惨さを憎む「同じ人間」であることを鮮やかに描き出しました。

 

しかし、歴史の皮肉と悲劇は、この詩が書かれた時代から半世紀以上が経過した現代において、より一層複雑な影を落としています。

 

ロシアによるウクライナ侵攻が現実のものとなった今、この詩のタイトル「ロシア人は戦争を望むか」は、かつてとは全く異なる次元の、重く、痛切な問いとして私たちの胸に響きます。

 

国家や権力者が引き起こす「政治としての戦争」と、市井の人々が抱く「平和への願い」。

 

その埋めがたい断絶を前にしたとき、この詩は過去の美しい遺産としてではなく、現在進行形の悲痛な叫びとして、改めて読み直されるべき作品と言えるでしょう。