今回は高村光太郎の「典型」という詩をご紹介。「典型」というタイトルの詩集があるが、その詩集に収録された「典型」という詩を、今回は取り上げる。
典型
今日も愚直な雪が降り
小屋はつんぼのやうに黙りこむ。
小屋にいるのは一つの典型、
一つの愚劣の典型だ。
三代を貫く特殊国の
特殊の倫理に鍛へられて、
内に反逆の鷲を抱きながら
いたましい強引の爪をといで
みつから風切の自力をへし折り、
六十年の鉄の網に蓋はれて、
端坐薫服、
まことをつくして唯一つの倫理に生きた
降りやまぬ雪のやうに愚直な生きもの。
今放たれて翼を伸ばし、
かなしいおのれの真実を見て、
三列の羽さへ失ひ、
眼に暗緑の盲点をちらつかせ、
四方の壁の崩れた廃城に
それでも静かに息をして
ただ前方の広漠に向ふという
さういふ一つの愚劣の典型。
典型を容れる山の小屋、
小屋を埋める愚直な雪、
雪は降らねばならぬやうに降り
一切をかぶせて降りに降る。
去年、詩人が戦前・戦中・戦後を生きることは、むご過ぎる体験である、と書いた。
⇒高村光太郎と三好達治、詩人が戦前・戦中・戦後を生きることは残酷すぎて…
私がこのブログで主に取り上げているのは、戦前の詩人だ。そのほとんどが短命である。30歳くらいで没している。
では、高村光太郎はどうか?
高村光太郎は、1883年〈明治16年〉3月13日 に生まれ、1956年〈昭和31年〉4月2日に死去している。
明治・大正・昭和の三代を生き、戦前・戦中・戦後の日本を体験した。
高村光太郎の「典型」という詩は、懺悔の詩である。戦中に戦意高揚の詩を書いた、つまり、戦争を讃美し、戦争反対の意志を示せなかった、自分自身を責めさいなむ詩だ。
高村光太郎はボロボロになり、戦後は東北の山小屋に7年もの間、独居せざるを得なかった。
私が青春期から最も愛読したのは、小林秀雄である。高村光太郎よりも、はるかに小林秀雄に傾倒した。
しかし、今は違う。小林秀雄より、高村光太郎の方に心惹かれている自分がここにいる。
高村光太郎の詩作品を、前期・中期・後期に分けて読むと、気づくことが多い。
今回ご紹介している「典型」は、後期に属する。
小林秀雄は自分が広げた風呂敷をきれいに畳んで死んだ人だ。一方、高村光太郎は、自分が広げた風呂敷を畳むことができないで死んでしまった。
73歳まで生きたのに、成熟も、達観もなく、最愛の智恵子を失い、戦争で傷つき、戦争が終わって約10年後に亡くなった。
最後の力を振り絞って、高村光太郎は彫刻家としての人生を締めくくるように、十和田湖畔の裸像を制作した。
最後にして最高傑作であるべきはずの巨大な裸像は、彫刻作品としては失敗作との評価が一般的だ。
愛と命の讃歌を、彫刻として歌い上げてほしかったが、それはかなわなかった。
高村光太郎の肉体も精神も、ボロボロになり過ぎていたのであろう。
高村光太郎は彫刻家としては大成しなかった。では詩人としては?
詩人として稀有な業績を遺した。
しかし、詩も完成はしていない。良作も傑作も多いが、完成度は感じない。
高村光太郎は風呂敷を畳めなかった人だ。
詩も人生も、未完成で終わった。
だが、高村光太郎のひさむきな生き様、彼の愛と苦悩と祈りは、私たちにとって永遠の糧となるであろう。
いや、糧としなければいけないのである。
高村光太郎の詩「典型」は傑作ではないが、永遠の価値を持つ、極めて貴重な遺産だと言えよう。
納得多大