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映画「そして父になる」は是枝裕和監督の最高傑作?


是枝裕和監督の作品はテイストに際立った癖のようなものがあり、それほど好きとは言い切れないできました。

意図して、こういうふうにしたいんだろうな、とは感じつつ、その意図が作品として成功していないことも多々あったと記憶しています。

今回鑑賞した「そして父になる」は、そういう意味で、是枝裕和らしい味付けは、積極的に最初からあきらめて映画を再生しはじめたのでした。

しかし、私の予測は良い意味で裏切られました。是枝節とでも呼ぶべきテイストはそこかしこに息づいていながらも、少しも我慢する必要がなかったのです。

見終って、脱力するくらい、じんわりと、しかも深いところで心にまとわりついて離れない、奇妙で心地よい感動に、しばし浸ることができました。

見る映画を決める条件として、出演する役者が、私の場合、かなりの比重を占めます。

「そして父になる」は、福山雅治、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキーが出演していますが、私が好きな俳優は一人もいません。

でも、映画を見終った時、この4人の役者全員を好きになっていました。

よくぞここまで、水準の高い作品を作ることができたものだ。この映画の作品として優秀さにも感心したけれど、よくぞこの境地にまで到達した是枝裕和監督の成長を賞賛したい」というのが私の率直な感想です。

不遜かもしれませんが、映画を愛し、映画黎明期の名作から、長いこと、映画というものを鑑賞してきた者として、あえて、こう申し述べたいと思います。

既存の映画にない新機軸に挑戦していること、また才能が実に豊かであることは確かだったのですが、それを本当の意味で活かせるだけでの映画監督としてのトータルパワーが足りなかったのです。

それが「そして父になる」によって、是枝監督らしさをギャップなく、視聴者の感動へのつなげられる水準に、監督手腕が達したと言えるでしょう。

以下が、是枝裕和の撮った長編映画です。

幻の光(1995年)
ワンダフルライフ(1999年)
DISTANCE(2001年)
誰も知らない(2004年)
花よりもなほ(2006年)
歩いても 歩いても(2008年)
大丈夫であるように -Cocco 終らない旅-(2008年) – 2015年に再上映
空気人形(2009年)
奇跡(2011年)
そして父になる(2013年)
海街diary(2015年)
海よりもまだ深く(2016年)

かなり前に「幻の光」を見たのですが印象に残らず、何年か経って映画館で「誰も知らない」を見て「オッ」と思い、続けて「DISTANCE」「ワンダフルライフ」を鑑賞。

そして、また数年経ってから「歩いても歩いても」を見ました。

正直、「そして父になる」を見なかったら、独特の雰囲気のある質の高い映像をつくる映画監督ですね、くらいの評価で私の中では終わっていたと思います。

以下、「誰も知らない」を劇場で見た後に私が書いた、簡単な感想文を引用します。

1)最近のハリウッド映画の反語として見た。

ハリウッド工場で作られる、商業主義、効率性を重視した合理主義に、うんざりしている人は多いのではないだろうか。
その意味で、この映画はいっぷくの清涼剤として存在感を示していた。
どたばた人が死んだり、ストーリーのために人間が動いている、ご都合主義はこの映画には無縁だ。
フラットで純粋な仕上がりが、正常な視聴者との対話を生んでいる。

2)静けさを湛えた、皮膚感覚のある映像美は珠玉。

「ワンダフルライフ」のような幻想性はないが、静かで、適度な湿気のある肌触りを感じさせる映像は、この監督ならではのもの。
刺激ばかり強い映画を見ていると薬物中毒にでもなったように、神経が病んでしまうが、そうならないために、この映画はあるんですよ、と主張していると感じた。

「誰も知らない」を見た時、強い感銘を受けたのですが、しばらく感想が書けなかったのです。感動が大きすぎて書けなかったのではなくて、何かが足りないと感じていたからだ、と今なら自分で納得できます。

「そして父になる」を見なかったら、是枝監督の鮮明な代名詞として「誰も知らない」が私の中で鳴り続けていたと思います。良い意味でも悪い意味でも……。

ところが「そして父になる」は、これまで是枝監督の長所でもあり、ある時は空まわしり、鼻につくことさえあった独特の映像テイストが、ごく自然な空気感に変わっていたのでした。


「そして父になる」は、物語設定と展開がしっかりしているので、フィルムの流れを追うことに無理しなくて良くなりました。視聴者の負担が減ったのです。

では、是枝フィルムの雰囲気がなくなってしまったかというと、決してそうではありません。

是枝裕和監督が生み出す映画の際立った美点のひとつに「空間の描き出し方」があります。

空間には「物理的空間」と「心理的空間」があり、その二つを融合させて、独自の映像空間を創造するところに、是枝映画の真骨頂がある、と「そして父になる」が出たことで、ようやく鮮明に評価できるようになりました。

なぜなら、その他の作品においては、試みてはいるけれども、作品として本当の意味では機能していなかったからです。

「機能していない」という意味は、是枝監督の手法、実験、試みといったものが、映画を純粋に味わいたい視聴者にとっては邪魔になることがあったということ。

谷崎潤一郎がその「文章読本」の中で、本当に良い文章は、空気のようなものであるべきで、読者は文章さえ意識することもなく、小説空間に参入し、酔いしれるのが最高の文章である、ということを述べています。

映画も同じこと。監督の試みやテクニックが目立つようでは、作り手と受け手の間にまで隙間があるということでしょう。

作りてと受けての呼吸が合い、心も感性もピッタリと寄り添った時、映画は作品として初めて独り立ちに歩きはじめるのだと思います。

監督の美意識が技巧が目につくようでは、まだ映画は監督の手を離れて、視聴者のものになっていないのです。

本当に、驚愕しました。「そして父になる」は、これまで見たこともない「空気感」があったから。

それにしても、「そして父になる」の空気感は良いですね。

心のあり様が、まるで皮膚感覚のように伝わってくる、空気の肌合いが味わえました。空気の冷たさがあり、温もりがあった。こんな映画、これまで見たことない!

是枝監督が生み出す映像には空気感がある。その理由を技術的に分析する知識は私にはありません。

他の映画監督の作品と比べて、全面にピンとを合わせるのではなく、バックをぼかす、あるいは手前をぼかす映像が多いから、空気感を感じやすいのでしょうか。

いや、それだけでなく、是枝裕和監督は、映像でできるだけ説明しようとするよりも、伝えたいものを象徴的に映す、そうすることで、映像を見る者の中に心理的空間を生み出すことができると信じているのかもしれません。

あと、もう一つ、この「そして父になる」の素晴らしさに、緩急の巧みな使い方があります。

静かに、淡々と進んでいるかと思うと、突然に、見る者の心を突き刺すようなシーンに切り替える。

ゆったりと湖面を渡る春風のような調べで始まった曲が、突如として、嵐に似た旋律に転調する。その意味では「そして父になる」は極めて音楽的な映画だと言えるでしょう。

音楽といえば、この映画中に流れる楽曲も印象深いですね。

まだ持っていなかったので、エンディングに流れる、グレン・グールドの「バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)」を注文。

是枝裕和監督の次の映画を見る前に、久しぶりに、バッハの音楽に浸りたいと思っています。

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