坪野哲久の短歌「母よ母よ息ふとぶととはきたまへ……」

坪野哲久(つぼのてっきゅう)の短歌をご紹介しよう。

 

母よ母よ息ふとぶととはきたまへ

夜天は炎えて雪ふらすなり

 

この歌は、昭和13年、坪野哲久が母親が危篤という報せを受けて、10年ぶりに故郷である能登に帰った時のものである。

 

本人であれ、他者であれ、生死の境に臨場した時に、名作詩はしばしば生まれている。

 

愛する者の死に接した時は、なおさらである。

 

斎藤茂吉の「みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる」は、あまりにも有名である。

 

今回ご紹介した「母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎えて雪ふらすなり」には、二つの強烈な表現がある。

 

息ふとぶととはきたまへ

 

息を吸うのではなく、吐くという点に注目。

 

気功を習っていた時、呼吸法の大事さを知ったのだが、特に「息を吐く」こと、吐き方に、気功の極意があるのではないかと何度となく思ったものだった。

 

「息ふとぶととはきたまへ」とは「生きよ」という強い願いであるとともに「豊かに、しみじみと生を実感してください」という祈りだったのではないか。

 

夜天は炎えて雪ふらすなり

 

人間は死の間際、天と交信すると私は信じている。

 

真昼の晴天に昇天する命もあるが、暗く重い夜の空が、うごめき、のたうちまわって炎を燃やし、雪を降らせることもあるだろう。

 

真昼の昇天を描いたのは、あのガルシア=マルケスの「百年の孤独」だった。

 

ガルシア=マルケス「百年の孤独」に関する覚書

 

逆に、荒れた雪の空と交信しながら死んで行った妹を歌ったのが、宮沢賢治の「永訣の朝」であり、坪野哲久のこの短歌である。

 

宮沢賢治の死「永訣の朝」

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まど・みちおの詩「アリ」、その永遠へと通じる瞬発力

今回は、まど・みちおの「アリ」というをご紹介しよう。

 

アリ

 

アリは

あんまり 小さいので

からだは ないように見える

 

いのちだけが はだかで

きらきらと

はたらいているように見える

 

ほんの そっとでも

さわったら

火花が とびちりそうに…

 

この世の中で最も大事なものは何だろうか?

 

それは「命」に違いない。

 

まど・みちおは蟻を見て「いのちだけが はだかで きらきらと はたらしているように見える」と言う。

 

要するに、蟻はこの世で最も大事なものを輝かせて生きているわけである。

 

私は、ハッとした。

 

蟻に対して、私自身はどうだろう?

 

昨日を過ごし、今日を暮らし、そして、明日も同じように……。

 

これで、私は生きていると言えるだろうか。

 

一番大切なことではない、余計なことに思い悩み、結局は何もできないで一日(の宝物)を取り逃がしているのが、私にとっての人生ではないのか。

 

一方、蟻はどうか?

 

余計なものを、限界まで捨て去り、命だけを燃やして、蟻は生きている。

 

蟻の命の輝きは、火花さえ飛び散らしそうだ。

 

まど・みちおの詩「アリ」は、人生如何に生きるべきか、その本質をついている、などと口幅ったい言い方はしたくない。

 

だが、病気療養中の私は今、真剣に、火花を散らして生きたいと切に願っている、それだけは確かだ。

 

自分の命だけになり切り、完全燃焼するためには、きっと、余計なものを限界まで捨てなければいけないのだろう。

 

そこに、躊躇や逡巡が、少しもあってはならない。

 

それにしても、まど・みちおの「アリ」という詩の瞬発力はすさまじい。それを集中力と言っても良いだろう。

 

一瞬で、私自身を変貌させてしまう、そんなチカラを、この「アリ」は有している。

 

久しぶりに、一篇の詩に、完膚なきまで打ちのめされ私がいて……同時に生きる勇気を感じているのだ。

 

まど・みちおのその他の詩はこちらに

柳澤桂子の短歌

今回は柳澤桂子短歌をご紹介。

 

柳澤桂子(1938年1月12日生まれ)は、日本の生命科学者、サイエンスライター、エッセイスト、歌人、お茶の水大学名誉博士。

 

31歳から難病に苦しめられ、現在に至る。

医療問題・生命科学へアプローチした執筆活動を行う。病の淵より深く洞察したそのアプローチから、2004年上梓された『生きて死ぬ智慧』(小学館)は80万部を超えるベストセラーとなった。

 

以下の一首は、齋藤孝の「心の琴線にふれる言葉」にて掲出された。改行は斎藤孝の著書に準拠。

 

日めくりを一枚めくる

私のいのちをめくる

萩はそよぎて

 

まさに今の私自身、日めくりを魂を込めて一枚いちまいめくるように生きたいと願っている。

 

長い間、難病に苦しんできた柳澤桂子だからこそ「いのち」という言葉が説得力を持ち安いのだろう。

 

私自身は、難病指定は受けていないが、断続的に大病で倒れてきているので、「いのち」への思いは強いほうだ。

 

「日めくり」と「いのち」という二語が入っているだけで、今の私には大きな意味を持つ。

 

私は柳澤桂子の歌集を持っていない。アマゾンで調べたが、すべて絶版になっていた。

 

古本を買うかはともかく、まずは以下、インタネットでヒットした柳澤桂子の短歌をご紹介しておくことにする。

 

けものなら死ぬであろうに人ゆえに医学によりて生きて苦しむ

 

マンモスの牙のごとくに伸びてゆく科学技術が人を滅ぼす

 

氷枕に頭痛をゆだね目をつぶる月をちぎって食べてしまおう

 

生きるという悲しいことをわれはする草木も虫も鳥もするなり

 

まぎれなく私に父と母がいた満月のようなまあるい記憶

 

生き抜かん強き思いはめらめらと宙にひろがる無限の炎

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