草野心平の詩一覧

草野心平という詩人ほど「ユニーク」という言葉が似合う人はいませんね。

 

「自由に」「思うがままに」「自分らしく」生きたいと願っても、現実は自分から進んで「自由」や「らしさ」を放棄して暮らしている(ことが多い)のではないでしょうか。

 

草野心平の詩を読むと、独特の解放感を覚える、心が解き放たれるような気がするのは、草野心平が、まぎれもない「自由な魂」をもった人間だからだと思います。

 

派手さはないけれど、地味だけで滋味が滲む、草野心平の詩(当ブログにてレビューした作品)を1ページにまとめてみました。

 

草野心平の詩「春のうた」は、みずみずしい生命讃歌。

 

草野心平の詩「青イ花」

 

草野心平の詩「秋の夜の会話」

 

草野心平の詩「空間」は、中原中也を追悼する詩なのだが…

草野心平の詩「空間」は、中原中也を追悼する詩なのだが…

草野心平の「空間」というをご紹介しよう。

 

空間

 

中原よ

地球は冬で寒くて暗い。

 

ぢや

さやうなら。

 

「中原」は詩人の中原中也を指す。

 

中原中也は1937年(昭和12年)に、30歳という若さで亡くなった。

 

当ブログでは、中原中也の詩作品のレビューをしているので、よろしければ以下からご一読願いたい。

 

中原中也のその他の詩はこちらに

 

そして、中原中也の「愛のカタチ」について言及…

 

中原中也・金子みすゞ・宮沢賢治の「愛」について

 

さて、草野心平の詩「空間」だが、実にユニークであり、初めて読んだ時、誰もが驚きを禁じ得ないだろう。

 

第一連と第二連、その間の省略が半端ない。第一連から第二連へ、その飛躍はすさまじい。

 

私は中原中也について評論を書いたこともあるし、中原中也について書かれた様々な文章を読んできた。

 

それらのすべては、草野心平が省略したことを書いているのである。

 

草野心平は、この中原中也に対する追悼文を、中也の詩の2年後に書いた。

 

草野が省略したであろうことを、ここであえて書こうとも思わない。

 

小林秀雄の「中原中也の思い出」は、おそらくは中也について書かれた文章の最高峰であろう。

 

誰も小林以上の文章は書けないだろうし、草野心平が真面目に中也を論じても、草野らしくないし、面白くないことは想像に難くない。

 

ただ特筆すべきは「空間」というタイトルなので、それについて述べることにする。

 

中原中也が死んで、草野心平には、ぽっかりと大きな空間があいてしまっていると感じられたのだろう。

 

中原は死んでしまったが、時代は悲惨な戦争に本格的に突入してゆくので、草野から見ると、中原にとって戦争を知らないで死んだことは運が良かったと思っていたかもしれない。

 

この「空間」という詩にある奇妙な明るさは、草野心平一流のユーモアから来ているというよりも、「中原、お前は、日本と日本人の悲惨な様(戦争と敗戦)を見ないで、その前に死にやあがって、うまくやりやあがったな」という、ある意味、ポジティブな思いを抱いていたからではないか。

 

だが、草野は「日本」とは書かずに「地球」とつぶやいた。

 

草野心平の言葉の選択に敬意を表したい。

 

戦争をしたのは日本だけでなく、第二次世界大戦と言われるくらい、世界中が戦争に巻き込まれてしまったのだ。

 

しかし、草野心平は「世界」と書かず「地球」と書いた。見事としか言いようがない。

 

日中戦争、1937年(昭和12)7月の盧溝橋(ろこうきょう)事件に始まり、1945年8月日本の降伏で終わった。

 

太平洋戦争は、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで行われた戦争であり、第二次世界大戦の一局面。日本などの枢軸国とアメリカ、イギリス、中国などの連合国の間で行われた戦争であった。その前から日中戦争が続いており、その継続としての要素も強い。

 

地球は冬で寒くて暗い

 

確かにそうだが、草野心平が言うと、人間と蛙はほぼ同じに聴こえてしまうから不思議だ。

 

しかし、人は蛙と違って、土の中で冬眠することはできない。だから、蛙よりも人間の方が悲惨なのだ。

 

ここで知っておくべきことは、蛙の冬眠は「安らかな眠り」ではなく、命を保存するための「命がけの仮死状態」を指すということだ。

 

そう考えると、「戦争には人類全体が滅びないためのやむを得ない戦いもある」ともとれそうだが、それはどうだろうか。

 

中也が死んじまってできた「空間」、その何と豊かなことか。それに比べ、日本人が人類が演じた戦争という三文芝居は、あまりにも愚かすぎる。

 

当ブログでは、草野心平の蛙の詩も取り上げているので、以下からご確認いただけたら幸いである。

 

草野心平の詩「秋の夜の会話」

「もののあはれ」は最も重要な日本語であり、最も美しい日本語の一つ

もののあはれ」という言葉を説明しようとすると、言葉に詰まってしまうのではないか。

 

「もののあはれ」とは何か、と問われた時に、即答できる人は多くはないだろう。

 

そういう私も、なかなか短い言葉、ズバッと言い切ることは不可能に近いと感じている。

 

「もののあはれ」を定義するとは「詩」を定義することに近いのではないだろうか。

 

私自身「詩」とは何かについて説明しようとして、かなり苦戦した体験をしている。

 

こちらのページで「詩」なるものを定義してみたので、ご一読願いたい。

 

風花未来の「詩の定義」はこちらに

 

ここで「もののあはれ」を、辞書はどのように説明しているかを見てみよう。

 

もの‐の‐あわれ〔‐あはれ〕【物の哀れ】

読み方:もののあわれ

 

1 本居宣長が唱えた、平安時代の文芸理念・美的理念。対象客観を示す「もの」と、感動主観を示す「あわれ」との一致するところに生じる、調和のとれた優美繊細な情趣の世界を理念化したもの。その最高の達成が源氏物語であるとした。

 

2 外界の事物に触れて起こるしみじみとした情感。

 

「わがアントニオは又例のもののあわれというものに襲われ居れば」〈鴎外訳・即興詩人〉

 

……デジタル大辞泉より

 

もののあはれ

 

もののあわれ(物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている。日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である

 

……ウィキペディア(Wikipedia)より

 

本居宣長は「石上私淑言(いそのかみのささめごと)」で、次のように述べている。

 

阿波礼(あはれ)といふ言葉は、さまざま言ひ方は変はりたれども、その意(こころ)はみな同じ事にて、見る物、聞く事、なすわざにふれて、情(こころ)の深く感ずる事をいふなり。

 

俗にはただ悲哀をのみあはれと心得たれども、さにあらず。すべてうれしとも、おかしとも、たのしとも、かなしとも、恋しとも、情(こころ)に感ずる事はみな阿波礼(あはれ)なり。

 

されば、おもしろき事、おかしき事などをも、あわれといえることもおおし。

 

「石上私淑言」(いそのかみのささめごと)は、本居宣長が、もののあはれの説を基軸として和歌のありうべきすがたを論じた歌論書である。

 

これ以上は「もののあはれ」という言葉を定義しようとしても、それほど意味あることとは思えない。

 

理屈をこねくりまわすよりも、「もものあはれ」を感じとれる生活環境と心理状態を、ふだんから整えておき、「詩なるもの」を実生活に生かしてゆくべきだろう。

 

私は「詩心回帰」「まどか」という運動を続けているのだが、その理由は、一般社会において、あまりのも「もののあはれ」や「詩なるもの」が軽視されすぎているからに他ならない。

 

美しい日本語を大切にしたい。優れた詩作品を大切にしたい。

 

「詩なるもの」「もののあはれ」が最重要視されて当然である、そんな世の中になってほしいと切に願い次第である。