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カテゴリー:草野心平

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草野心平の詩「秋の夜の会話」

美しい詩 - 草野心平

草野心平の「秋の夜の会話」という詩をご紹介します。

 

秋の夜の会話

 

さむいね

ああさむいね

虫がないてるね

ああ虫がないてるね

もうすぐ土の中だね

土の中はいやだね

痩せたね

君もずゐぶん痩せたね

どこがこんなに切ないんだらうね

腹だらうかね

腹とつたら死ぬだらうね

死にたくはないね

さむいね

ああ虫がないてるね

 

短いけれども、いろんな工夫が詰め込まれた力作です。

 

以下、作者の工夫を箇条書きにしてみます。

 

●二匹の蛙の会話で詩を進行させる

 

この一篇の詩しか知らなければ、そもそも誰と誰がしゃべっているのかわからない。

 

だけれども、草野心平は「カエルの詩人」と呼ばれるくらい、蛙(かえる)を主人公にした詩をたくさん書いた人だという知識をえれば、そうか、二匹の蛙の会話なんだな、これは面白いということになるわけです。

 

●虫のなき声が、絶妙の音響効果を上げている

 

もしこの詩に「虫がないてるね」(3回繰り返す)がなかったら、詩作品としてのクオリティは下がったでしょう。詩として成立しないと思うくらいです。

 

虫のなき声は、本当に寂しく切ないし、それこそ空きっ腹に沁みる。

 

●冬眠は安らかな眠りではなく、命がけの仮死状態

 

この詩には全く無駄がないが、特に以下の会話は、見事としか言いようがない。

 

もうすぐ土の中だね

土の中はいやだね

痩せたね

君もずゐぶん痩せたね

どこがこんなに切ないんだらうね

腹だらうかね

腹とつたら死ぬだらうね

死にたくはないね

 

蛙の冬眠には謎が多いそうです。観察例が少ないために、すべてを解明できていないとか。

 

まあ、生物学的な考察は私にはできないので、素朴に私自身が蛙だったらと想定すると、見えてくるものがあります。

 

なぜ、蛙である私は冬眠するのか?

 

それは「生きるため」です。厳しい寒い季節を乗り切るためには、「眠って命をつなぐ」より道はない。

 

つまり、冬眠は蛙にとって生やさしいものではなく、命がけの行為なのです。

 

そういう「ギリギリの生命の実体」を、草野心平は、素っ気ないほどさらっと、しかもユーモアさえにじませて、わずか8行に凝縮させたのでした。

 

●ユーモアは最も難易度が高い修辞学

 

草野心平の詩の最大の魅力に「ユーモア」があります。

 

「ライムライト」「独裁者」「街の灯」「モダンタイムス」などの傑作映画で知られる、チャールズ・チャップリンは次の言葉を遺しています。

 

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である

 

このチャップリンの名言については、こちらのページで詳述しましたで、お時間のある時にでもお確認ください。

 

草野心平の詩には、草野の人生との距離の取り方が独特であることが表れている。蛙を主人公にした詩を書いた、そのことは、人生を独自の距離感で描き出したとも言えます。

 

草野心平は、命を、人生を、かなり突き放した視点で見てますね。しかし、離れ過ぎてはいません。この絶妙な距離の取り方が、本物の独創である「カエルの詩」を生み出しました。

 

詩の対象(人生)とのディスタンス(距離)の取り方、その名人、それが草野心平だと言えるでしょう。

草野心平の詩「青イ花」

美しい詩 - 草野心平

草野心平の「青イ花」というをご紹介します。

 

青イ花

 

トテモキレイナ花。

イッパイデス。

イイニホヒ。イッパイ。

オモイクラヰ。

オ母サン。

ボク。

カヘリマセン。

沼ノ水口ノ。

アスコノオモダカノネモトカラ。

ボク。トンダラ。

ヘビノ眼ヒカッタ。

ボクソレカラ。

忘レチャッタ。

オ母サン。

サヨナラ。

大キナ青イ花モエテマス。

 

「蛇に睨まれた蛙」という言葉を想い出せば、この「青イ花」という詩の状況はすぐに理解できるでしょう。

 

死を覚悟した、幼い蛙は、母親に向かって声にならない声で呼びかけます。

 

青い花がいっぱいに咲いている、むせかえるほどの濃厚な匂いを放っていて、もえているようです、「ボク。カエリマセン」「サヨナラ」。

 

カタカナを多用し、視覚と嗅覚に強く訴える手法が、効果を上げている。

 

本当に子どもの蛙になって、感じ、思っているように、リアルに伝わってくる。

 

「生と死」を、子供の蛙の舌っ足らずな話言葉が、哀しくも美しい。

草野心平の詩「春のうた」は、みずみずしい生命讃歌。

美しい詩 - 草野心平

今回は、草野心平(くさのしんぺい)の詩を取り上げます。

 

草野 心平は1903年(明治36年)5月12日 生まれ。 1988年(昭和63年)11月12日に死去した日本の詩人です。

 

草野心平は「蛙の詩人」と呼ばれるくらい、蛙の詩をたくさん作っています。

 

1950年(昭和25年)には、「定本・蛙」によって、第1回読売文学賞を受賞。

 

今回は「蛙の詩」の代表作、「春のうた」という詩をご紹介します。

 

【動画】草野心平の詩「春のうた」は、みずみずしい生命讃歌。

 

この詩は何度か改稿されているのですが、以下は 昭和55年版です。

 

 

春のうた

 

かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。

そのはじめての日のうた。

 

ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。

 

みずは つるつる。
かぜは そよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。

 

ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。

 

ケルルン クック。
ケルルン クック。

 

 

いかがでしょうか。この詩の主人公は、もちろん、蛙です。

 

長い冬眠から覚めた時の「命の歓び」を、蛙に託して歌っている、ごく単純な詩であります。

 

しかし、誰でも書けるという意味で単純なのではなく、草野心平以外には書けない、独自の詩空間を創出しています。

 

よく「個性」という言葉が使われますが、この「春のうた」まで来ると、「個性」などという言葉は不要だと感じるほど、完璧な草野心平ワールドを形成しているのですね。

 

「命の歓び」、あるいは「生命讃歌」を概念的な言葉で表現しようとすると白けるのですが、そうした観念語はいっさい使われていないので、皮膚感覚で、いきいきと、たくましい生命の息吹を感じる取ることができます。

 

ほっ」は蛙自身の驚きの声。また「ケルルン クック」という蛙の鳴き声も、詩のライブ感を強めており、実に効果的に機能していますね。

 

「ほっ おおきなくもがうごいてくる」との「くも」は「蜘蛛」ではなく「」であります。

 

蛙の視点からは「いぬのふぐり」が近景、「くも」が遠景なります。さりげなく、かつ効果的に遠近法が使われているので、このあたりも味わいたいものです。

 

当ブログ「美しい詩の言葉」では、草野心平の他の詩もレビューしています。

 

草野心平の詩「秋の夜の会話」

 

草野心平の詩「青イ花」

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