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山田太一ドラマ「岸辺のアルバム」全力レビュー1


山田太一の原作・脚本によるテレビドラマ「岸辺のアルバム」を、TBSオンデマンドで、ようやく見終わりました。「不朽の名作」とか「オールタイム・ベストワン」などという人もいる評価の高いドラマなので、気合を入れて見ようとしたのですが、全15話を一気に最後まで見るということはできませんでした。

一話見終わると、グッタリしてしまいます。神経も、肉体も、心も、疲れてしまい、一日経たないと次が見たくならないのです。生来のドラマ好きの私ですが、こうした感じは初めての経験でした。

この奇怪な疲労感の中に、おそらくは「岸辺のアルバム」という名作ドラマの謎を解く鍵がある、そんな予感がしています。

この「岸辺のアルバム」というドラマが、「安易なレビュー記事など、書いて欲しくない」と私に語りかけている気もしますので、じっくりと感想を書き連ねてゆくことにしました。


まず最初にお話すべきは、私はこの「岸辺のアルバム」を初めて見たということです。

「岸辺のアルバム」は1977年6月24日から9月30日まで放送されたTBSのテレビドラマ。山田太一の原作を、山田太一自身が脚色し、脚本を書き上げました。原作は、1977年まで東京新聞と中日新聞・北海道新聞・西日本新聞に連載された同名の小説です。

今年は2011年ですから、放送されてから、かなりの年月が経過しています。DVD化されていないので、これまで見る機会がなかったのです。

名作ドラマだから、今見ても、かなり楽しめるだろう、という安直な期待は、第1話で早くも裏切られました。

1977年(昭和52年)にタイムトリップすることに失敗してしまったのです。1977年に何とか着地したものの、着地した時に足をくじいてしまった、そんな感じ。くじいた足を引きずりながら、ドラマを見続けようとしたのですが、痛い足が気になって、ドラマの空気感、時間の流れになじみきれません。この違和感は、ドラマの最終回まで消えませんでした。

先日ご紹介した山田太一のドラマ「星ひとつの夜」(2007年放送)と比較しますと、底流に流れるもの、山田太一の人間観は同じだと感じましたが、時代があまりにもかけ離れており、今回は、その「時代」について、少し考えてみたいと思うのです。

そもそも、1977年とは、どんな年だったのでしょうか。

歌謡曲では、ピンクレディーが全盛期で、SOSやUFOが流行っていた頃です。山口百恵、桜田淳子、郷ひろみ、西城秀樹などがまだ活躍していた時代でもありました。

昭和52年の世相史はこちら⇒昭和52年の出来事

まだ、携帯電話も、パソコンも普及しておらず、ビデオすら家庭では見れませんでした。当時のカフェやファーストフーズ店の雰囲気がドラマ内で描かれていますが、そうした過去を振り返ることが、意外に大きなエネルギーを必要とすることに気づきました。

1977年(昭和52年)は、一言で申しますと、転換期です。ドラマ中で父親に「戦争を経験した者が仕事の現場では少なくなった」というようなセリフを語らせています。

我武者羅に走り続けた時代はついに終わりを告げ、重い服を脱ぎ捨てて、軽妙で明るい感覚が好まれてゆく、その入り口の時代のような気がします。

軽くて明るい世界といっても、その背中合わせには、「白け」「倦怠」「不安」などがあり、幸福感が根付いていたわけでは決してなかったのですね。

流行歌では演歌が廃れはじめ、オシャレな空気が広がってゆきますが、「痛み」や「辛苦」は、違った形で人間を蝕み始めます。そうした時代の転換期を、山田太一は今も変わらぬ「太一節」で、描き出したのが「岸辺のアルバム」だと感じました。

「岸辺のアルバム」については、これからも語ってゆきたいと思っています。


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