「的を得る」は間違いで「的を射る」が正しい?

間違いやすい言葉の一つに「的を得る(まとをえる)」があります。正しくは「的を射る(まとをいる)」ということになっているのです。

「間違いやすい慣用句」「間違いやすい漢字」などのコーナーでは、必ず掲載されているのが、この「的を得る」と「的を射る」。

とは申しましても、「的を射る」というふうに書くことはほとんどなく、この言葉を使う場合は、「的を射た」あるいは「的を射ている」というふうに書くはずです。

「核心を突いた意見である」という意味を伝えたい場合、「的を得た意見」は間違いで、「的を射た意見」が正しいとされています。

当サイトでも「間違えやすい言葉と慣用句【文章の基本ルール】」という記事をアップしたことがあり、実は、最初はこの「的を得る」は間違いで「的を射る」が正しいと掲載してみたのです。しかし、今は削除してあります。

削除した理由は、「的を得る」が正しいと主張したいのではなく、「的を射る」の方が正しいと言い切るのも、奇妙だと感じたからです。

「的を射た」という言葉も、実に、ぎこちない、というか、センスの悪い言葉のように思えてなりません。

あくまで私個人の見解ですが、「的を得る」でも「的を射る」でも、どちらでも間違いではないということにした方が良いと思います。今のままですと、両方とも使えないのです。

「一生懸命」と「一所懸命」はどちらでも良い、「世論」を「よろん」でも「せろん」でも構わないというのならば、「的を得る」でも「的を射る」でも、どちらでも良いでしょう、というのが私の言葉感覚です。

「世論」「一生懸命」の読み方・使い方

すでに出版されている「文章作法」の類の書籍でも、一冊の本の中で「的を得る」と「的を射る」の両方を使っている例があり、おそらくはこれは校正ミスですが、プロ集団でさえ、間違えるような言葉は、「誤用の追認」をした方が良いのです。意味のない議論を繰り返すよりも、「日常でひんぱんに使われているので、使ってもかまわないことにしてしまう」方がマシでしょう。

一方では、それほどまでに間違いやすいということは、正しいとされている「的を射た」という言葉自体に問題があるとも考えられます。間違えられ過ぎるのは言葉として不幸であり、あまり良い言葉とは言えないかもしれないのです。

このまま間違えられ続けるくらいならば、時代に合わない、誤解を生みやすいという理由から、どちらも使わない方が良いという意見も出てきて当然でしょうね。

そもそも、「的を得る」を間違いだとする説明に、説得力が薄いのです。極端な話、「的を得る」は権威ある(その人が使っている)辞書には載っていないので、今のところ間違いとしておくべきだ、ぐらいの説に過ぎません。

インターネットの辞書で「的を得る」を引きますと、ヒットはします。「実用日本語表現辞典」と「日本国語大辞典」には「的を得る」の説明が載っており、誤用とはされておりません。

それぞれの辞書の「的を得る」の説明を引いてみます。

実用日本語表現辞典からの引用

的を得る

読み方:まとをえる

「当を得る」と、「的を射る」または「正鵠を得る/正鵠を射る」などが混同されて使われる表現。「当を得る」は、理に適っている、の意味。「的を射る」や「正鵠を得る/正鵠を射る」は要点をうまく捉えているという意味。これらが混同されて「的を得る」と言う場合は、通常は「要点をうまく捉えている」などの意味で使われることが多い。

 次は、「日本国語大辞典」の解説。

日本国語大辞典からの引用。

まとを得(え・う)る

的確に要点をとらえる。要点をしっかりとおさえる。当を得る。的を射る。*白く塗りたる墓〔1970〕〈高橋和巳〉二「よし子の質問は実は的をえていた」

 この問題について、調べたり、考えたりすることは、私にとって有益でした。

言葉を使う場合、「正しいか、間違いか」という問題もありますが、「使いたいか、使いたくないか」という問題もあるのです。権威ある国語学者ならば、正解について、もっともらしい解説をしてくれるかもしれませんが、言葉を使うのは私たち一般人にほかなりません。

正しくないから使ってはいけないと言われながらも、多くの人が間違い続けたために、間違いとは言われなくなった言葉だけを集めてみたら面白いでしょうね。

「的を得る」も間違いではないという意見を述べる人もいます。その理由づけの中で「正鵠を得る(せいこくをえる)」という言葉が必ず出てきます。この場合、「正鵠を射る(せいこくをいる)」でもかまわないのですね。

正鵠」について、大辞林は以下のように説明しています。

1.せい‐こう【正鵠】
「せいこく(正鵠)」の慣用読み。

2.せい‐こく【正鵠】
《慣用読みで「せいこう」とも》1 弓の的の中心にある黒点。2 物事の急所・要点。

3.正鵠を射る
物事の急所を正確につく。正鵠を得る。「―射た指摘」 

「正鵠を射る」「正鵠を得る」の場合は、どちらでも良いのですが、この言葉になじみがない人が、今後「正鵠を得る」と自分のブログには書かないと思います。人は自分が使い慣れていない言葉は使いたくないものだからです。

「的を得た」は私たちの日常会話ではしばしば耳にします。一方「的を射た」は、ほとんど聞きません。声に出した場合、「鈴木さんの意見は的を得ていて感心した」と言った方が「鈴木さんの意見は的を射ていて感心した」と言うよりも滑らかだからでしょう。

「えていて」とは言いやすいが、「いていて」は舌を噛みそうになります。

そういう意味からも「的を得ている」「的を得た」という言い回しに、市民権を 与えても良いと感じます。

ただ、現在は、すべての辞書に載っているわけではない、一般的には誤用ということになっていることから「的を得る」とは書きにくいのは事実です。他人に突っ込まれるかもしれないことを、わざわざ書く人は少ないからです。

どの言葉と組み合わされるにしろ、「~を射ている」「~を射た」は言葉として拙いと感じるので、「射」は除外して用法を模索することにします。

「的を射た」意見と言いにくのならば、「的を得た」にかわる、適切な言葉、使いたくなる言葉があれば良いわけですね。

「正鵠を得た」が使いづらいのなら、似たような表現に「要を得る(ようをえる)」「当を得る(とうをえる)」があるので、これらはどうでしょうか。

谷崎潤一郎の「文章読本」を読みますと、志賀直哉の「城の崎にて」の文章表現を評して「簡にして要を得ている」と書いています。「表現はいたってシンプルだが、事象の急所をとらえている」と谷崎は称賛しているのです。

「的を得る」のかわりに「要を得る」を使ってはどうだろうかと思ったのですが、この「要を得る」は、その前に「簡にして」がついて、セット使用されることが多いらしく、単独では、しっくりしません。

では「当を得る」はどうか? 「当を得る(とうをえる)」は「道理に適っていること、合理的であること、などの意味の表現」と辞書には書かれておりますが、「とうをえる」は、会話の中で使った場合、意味がよく伝わらない気がしますので、これも使いづらいのです。

そこで私が考えた、現実的な対策は、「的を射た意見」を違う言葉に置き換えてるみることでした。

最も一般的なのは「核心をついた意見」でしょうね。

もちろん、他の表現も知りたいので、今度は「核心」を類語辞典で調べてみました。引用元は「Weblio」です。

クリックで拡大↓

 

 

 

 

 

この表はかなり役に立つと思います。「核心をつく」をそのまま使っても良いし、自分なりに、使いたい表現に変えれば良いだけのことです。今の時代に合った表現が、いくらでも出てきそうだと感じたのは私だけでしょうか。

現代的ということであれば、「ポイントを押さえた意見」と言った方が意味はとりやすいですよね。

「的を得る」は間違いだから「的を射る」と書くべきだという不毛な議論をしないためには、「的を得る」も間違いではないことにするか、両方とも使わずに違う表現に置き換えるしかありません。

現状では、間違えやすい言葉、間違えられやすい言葉はできるかぎり使わずに、明快な言葉で同じ意味を表現するべきでしょう。

以上の理由から、「的を~ている」「的を~た」という表現は、私はもう使わないかもしれません。

今後は、「核心をついた意見」では少し固いと感じた場合は、類語を使った違う言い回しで書いてみたいと思っています。

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コメント

  1. BIFF より:

    文中「日本語大辞典」とあるのは、「日本国語大辞典」の誤りではないでしょうか。

    • mirai より:

      BIFF様へ ご指摘、ありがとうございます。「日本国語大辞典」と修正いたしました。今後ともご指導のほど、よろしく、お願いいたします。

  2. yama より:

    日国の編集者の神永さんも、ほとんど同じこと書かれていますね。
    http://club.japanknowledge.com/jk_blog/nihongo/20100521_008.html

    • mirai より:

      yama様へ 良いサイトを教えていただきまして、ありがとうございます。神永曉さんの記事、気負いがなく、なんか、ま~るい感じがして良いですね。これからも、よろしく、お願いします。

  3. 匿名 より:

    そういえば、中谷臣先生(駿台予備学校世界史科講師)のホームページではこんなことが書いてありました:
    射撃の場面を想像して「的を得る」はずがない、「的を射る」ものだ、という誤解です。これは漢語に由来する表現であることを知らず、日本語として「的を得る」はずがない、と思ってしまうのです。語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく)を失う」という表現からきています。この場合の正鵠は「正も鵠も、弓の的のまん中の黒星(『角川漢和中辞典』)」のことで、射てど真ん中の黒星に当てることができたかどうか、当たったら「得た」といい、はずれたら「失う」と表現していたのです。矢で的を射るのは当り前としても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です

    • mirai より:

      匿名様へ 「正鵠を失う」からですか……なるほど、その視点からですと、問題がわかりやすくなるかもしれませんね。
      貴重なご示唆をありがとうございました。今後とも、よろしく、お願いいたします。

  4. 匿名 より:

    不毛な議論にしてるのはいつも誤用をごり押ししてる側なんだから両方とも使わずに違う表現にする以外に解決法はないと思われ。
    間違っていると言われてる側がこれも正解にしろなんて言ったら火に油を注ぐだけ。
    そういう議論は面倒なんで参加しないけど、ことこれに関しては弓が好きなんで射るのほうにしてほしいがね。
    因みに中谷とかいうのは正鵠を失うから的を得るまでの変化を推測にも関わらず文献も示さずに決めつけてるアホ。
    正鵠を失う⇔正鵠を得るとは別に的を外す⇔的を射るから来てるかもしれないし、得るや当たるといった言葉を使わないのには意味があるかもしれないのに。


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