今回の風花未来の詩は「瑠璃」です。
瑠璃
人は誰も
胸にできた大きな空洞を埋めるために
長い年月をついやすのかもしれない
空を見上げた時
鳥がわたってゆくのを見つけると
ハッとすることはないだろうか
雲ひとつない
澄みきった空を見上げる時
私はいつも何かを探している
そんな気が
かなり前からしていたのだが
今日ふと見上げた
瑠璃色の空から降りてきた
遠い記憶が
私が失くしたものをつれてきた
あのコーヒーを初めて飲んだのは
もう20年以上も前のこと
だが 今もなお
その時の記憶は薄れることはない
初めて入った店で
一杯のコーヒーを飲むと
なぜか 泣けてきた
無性に泣けてきて
涙がなかなか止まらなかった
カフェ好きで
コーヒー好きで
無数のコーヒーを飲んできた私だが
泣いたことはなかった
コーヒーで泣けることが
信じられなくて
何かを激しく信じはじめている
自分が怖ろしくて
その日から
毎日 同じ店に出かけて
同じコーヒーを注文した
ふつうのコーヒーと
どこが違うのか
はつらつとした
若い女性店主に
それとなく聞いてみた
豆は自分で海外に買い出しに行く
豆は適正の温度で保存
お湯の温度も厳密に
着色料などの添加物のない
ペーパーフィルターを使う
そして何よりも
一杯いっぱい精魂を込めていれる
みずみずしい夢を語るかのように
笑顔で説明してくれただけでなく
コーヒーのいれ方を
一枚の紙に
ていねいに書いてくれた
それでも私は納得しなかった
店主の説明どおりにいれても
一杯のコーヒーが
人の心までを
揺り動かしはしないだろう
およそ半年間
毎日通いつづけたが
数日間だけ
風邪をひいて行けなかった
風邪が治り
店に行ったら
店主はやめていなかった
店員の話では
急に海外に旅立ったという
その数か月後
胸にできた大きな空洞を
抱えたまま私は
その街を去った
店主のかわったカフェは
数か月後に閉店したという
私はあの頃の喪失感をもとに
あの店主とは全く関係のない
「瑠璃」という物語を書いた
瑠璃色の空を見上げ
大切なものを失くしてしまって
途方に暮れている
青年の語りから物語は始まる
あれから気が遠くなるほど長い間
晴れた空を見上げるたびに
私は大事なものを探してきたのだろう
あのコーヒーの味の秘密は
永久にわからないと
あきらめたまま 時は流れた
しかし ようやく最近になって
あの謎のもつれた糸が
ほどけ始めた
つい先日
病棟で見た
瑠璃色の千羽鶴
千羽鶴の中の
一羽の鶴
今にも舞い上がりそうな
うるわしい鳥
あの女性店主は
ひとつことを懸命に祈る
幸せにあれかしと願い
無性の愛を惜しげもなく注ぎつづける
鶴の化身だったのではないか
あの人は
私が彼女の秘密を知るはずはないのに
突然 私の眼の前から消えた
昔話の中の鶴と同じように
空に飛び立って行ったのかもしれない
そういう
お伽噺に似た想いしか
今の私には信じられない
お伽噺の中の不思議な力こそが
現実に奇跡を起こすと信じようとしている
あの鶴の化身は
空に消えて久しいが
瑠璃の化身
その祈りは
今も私の中に息づいてる
私の胸の空洞は
ようやく埋まった
これからは
晴れた空を見上げても
何も探しはしないだろう