「一億総詩人化」キャンペーンを、より強化するために「詩心革命(しごころかくめい)」という運動を始めることにしました。

 

「詩人」を「詩心」という言葉に置き換えても差し支えありません。この場合、「詩人」と「詩心」はほぼ同意語です。

 

詩心回帰で、お金一辺倒の拝金主義から、人間主義への転換を

 

「詩心回帰」の根本には「心の復興」への願いが込められています。この運動は単なる文化運動ではなく、社会運動であり、政治運動でもあるのです。

 

どうしたら、詩心回帰によって心の復興がかなえられるのか?

 

最近、政治・経済・歴史に興味を持って私なりに勉強しているのですが、「詩を読みましょう」「詩の魅力を広げて行きましょう」とだけ、声高に叫んだところで伝わらない、広がらないと思っています。

 

詩や文学や芸術に人々の目がなかなか向かないのは、メインの価値観が「拝金」にあるからではないでしょうか。

 

実際に、多くの人は無意識のうちにお金を中心に生活しています。

 

詩の存在は知っていても、「詩はお金にならないじゃん」で終わってしまうわけです(泣)。

 

この拝金主義の最大の悪は、人らしくあることを否定することにあります。

 

どれだけ、お金一辺倒の価値観が私たちを苦しめてきたことか!

 

ではなぜ、金一辺倒の価値観に日本人ははまり込んでしまったのか、その原因をつきとめ、それを除去することから始めないといけないと気づいたのです。

 

ですから、政治や経済のあり方にまで言及することは避けられません。

 

政治や経済、特に、金融資本主義のシステムを変える必要があるでしょう。

 

しかし、それは私の専門ではありません。共感できる他の人の意見を紹介することはできますが、私は私で能動的な活動がしたいのです。

 

私の専門は、言葉であり、詩であるので、人の内面、つまり心から、人間復興を目指したい。

 

「詩人」の持つ「詩心」で、人々の価値観を変え、人が人らしく生きられる社会を皆さんといっしょにつくってゆこうと思い至ったのです。

 

今こそ、拝金主義から人間主義へと価値観の大転換をしなければいいと痛感しています。

 

詩人のもつ詩心で社会の価値観を変えてゆく、などという主張は聞いたことがないでしょうから、戸惑う人が多いでしょう。

 

なかなか理解されない、それは充分に覚悟しています。

 

粘りづよく、できるかぎり、わかりやすく、具体的に説明してまいりますので、どうか、お付き合いください。

 

拝金主義の打破するためにはまず、「詩心とは何か」から、精細に理解していただくことが必要なのですが、それについては、以下のページをご覧ください。

 

⇒「詩人の定義」と「詩心の5つの特質」へ

 

日本人への尊崇の念を込めた「一億総詩人化キャンペーン」。

 

日々の暮らしの中で、幸せの実感を濃くしてゆくには、その前提として「心のふるさとを見つけること」が大切です。

 

心の居場所、本来の棲み処が見当たらなければ、当然、不安になり、癒されることもありません。

 

そのため私が提唱する「一億総詩人化キャンペーン」も、「心のふるさと」を見つけることを重視しているのです。

 

「一億総白痴化」という言葉を案出したのは大宅壮一ですが、この「一億総白痴化」なるワードには軽蔑の気持ちが込められています。

 

テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ている人間は、想像力や思考力が低下し、白痴のようになってしまう」という意味ですから。

 

一方、私が今回立案しました「一億総詩人化キャンペーン」というタイトルには、尊敬の念と励ましの気持ちが含まれています。

 

日本人ほど詩を愛し、自らも詩人である国民はないと私は思っているのです。

 

万葉集の時代から無数の詩が生み出され、現代でも俳句や短歌が一般庶民に至るまで広く創作され続けていることは特筆に価するでしょう。

 

いずれまた機会を改めて語りますが、「現代詩の悲劇」があります。

 

「現代詩の悲劇」を簡単に説明すれば、極端に衰微し、絶滅寸前の状態に追い詰められていることです。

 

現代詩はなぜ衰えたのか?

 

それはやはり、太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦とGHQによる約7年間の占領政策の影響が大きいと私は確信しています。

 

GHQの占領政策の一部である「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」については、以下の記事で少し触れました。

 

⇒西尾幹二「GHQ焚書図書開封」を読み始めた理由

 

これは私個人の説ですが、明治維新から戦前までのいわゆる「日本近代詩」は、世界のトップレベル、いえ、おそらくは世界一であったと(独断的に)評価しています。

 

百花繚乱という形容を使いたくなる詩人が出現し、極めて質の高い詩をたくさん生み出しました。

 

ところが、「日本現代詩(戦後の詩)」は、戦後、戦前との連続性を失い、精神が切断されたかのごとく、終わりのない迷走を開始。

 

戦後において、日本人の詩心、詩精神も、非常に遺憾ながら、ほぼ解体されてしまった感があります。

 

「詩心回帰」の具体的な活動

 

以下で、「詩心回帰」に具体的な活動についてご説明いたします。

 

1)日本の名詩ベスト50の選定

 

明治・大正・昭和20年までの期間に限定して、日本近代詩の名作を厳選。短歌・童謡を含めます。なぜ、この期間に限定するかについては、説明しだすと長くなりますので、以下、簡単に触れておきます。

 

日本人の心の荒廃は、戦前と戦後の非連続性にあると私は考えているのです。戦前の近代詩の中に、真の日本人の心の原点があると思うので、日本人の「心の復興」のために、日本近代詩から優れた詩をピックアップいたします。

 

⇒語り継ぎたい日本の名作詩50選

 

2)暗唱を推奨する詩のピックアップ

 

「日本の名詩ベスト50」の中から、暗唱してほしい詩を選びます。詩を暗唱し語り継ぐことが、詩の命、詩心を守ることつながると思います。そのため、できるかぎり、暗唱しやすく、優れた詩を厳選する予定です。

 

3)詩心回帰スタッフ(ボランティア)募集

 

スタッフ(ボランティア)の方にお願いしたいことは、イメージ(プロモーション)ビデオ制作、YouTube動画編集、セミナー用パワーポイント制作、セミナー・イベント運営、イメージソングの制作などです。

 

4)イベントの開催

 

風花未来セミナー&ワークショップ、朗読会、懇親会など

5)詩心で未来を変える会(SNS)メンバー募集

 

「詩心革命」の趣意に賛同していただき、その目的や願いを広めてくださるメンバーを募集いたします。

 

自分が詩人だと気づくことが「詩心革命」という物語の始まり。

 

まずは、自分が「詩人」だと気づくことから始めてほしい。

 

「詩人」とは、自由な存在です。

 

自分自身は誰にも、どんな組織にも支配されない自由な存在である「詩人」。ならば、「詩人」として生きるということは、つまり、自分の「価値観」で生きることを選択するでもあるのです。

 

集団や組織の同調圧力に負けず、忖度しないで、「自分の価値観」に正直に生きることが、詩人の生き方だと言えます。

 

それは、流される生き方よりも、エネルギーを使うことになるでしょう。しかし、周囲に合わせるだけの暮らしよりも、ずっと確かな実感のある生活感が味わえると思うのです。

 

確固たる、自分の価値軸を持たなければ、他の人々と本当に共調することもできないでしょう。

 

人は「和」、あるいは「環」の中でこそ、真の癒しが得られと私は思っています。

 

その前提として、何ものにも支配されない、自由な精神を持たねばなりません。

 

自由な精神を持つには、学習(精進)によって、物事の本質を見ぬく直観力を磨かなければなりません。

 

この学習に、長い時間を割くべきでしょう。

 

学習は厳しい修行の道ではありません。自分の成長を実感できるので、本来楽しいことなのです。