今回は高村光太郎の「苛察(かさつ)」という詩を取り上げます。
苛察
大鷲が首をさかしまにして空を見る。
空には飛びちる木の葉も無い。
おれは金網をぢやりんと叩く。
身ぶるひ――さうして
大鷲のくそまじめな巨大な眼が
槍のやうにびゆうと来る。
角毛(つのげ)を立てて俺の眼を見つめるその両眼を、
俺が又小半時じつと見つめてゐたのは、
冬のまひるの人知れぬ心の痛さがさせた業(わざ)だ。
鷲よ、ごめんよと俺は言つた。
この世では、
見る事が苦しいのだ。
見える事が無残なのだ。
観破するのが危険なのだ。
俺達の孤独が凡そ何処から来るのだか、
この冷たい石のてすりなら、
それともあの底の底まで突き抜けた青い空なら知つてゐるだらう。
高村光太郎には「猛獣篇」と呼ばれる詩の作品群がある。
動物に託して、詩作するという試みは、かなりの成果を上げており、高村光太郎の「智恵子抄」に次ぐ、詩のシリーズの結実と評価していいだろう。
この「猛獣篇」の中で最も優れた作品が、今回ご紹介した「苛察」である。
私は自身のライフワーク「詩心回帰」の中で「詩心の7つの特性」の一つに「物事の本質を見ぬく洞察眼(直観力)」をあげた。
高村光太郎の「苛察」においては、鋭すぎる直観力、つまり、ものが見え過ぎてしまうとという過酷な宿命がテーマの一つとなっている。
詩人の「過酷な宿命」は、即ち「詩人の孤独」を意味する。
「孤独感」を、高村光太郎は鷲と共有し、それを詩として表出している。
高村光太郎の代表作と評価して良い佳作である。