大切なお知らせ

 

(まどか大学レター6)感謝の気持ちを込めて、VIPコースにご招待♪

 

ご連絡掲示板

 

●第3回目のライブチャットは、12月28日(水)20時からを予定しております。

 

●第4回目のライブチャットは、1月4日(水)20時からを予定しております。

 

ライブチャットは、stand.fm(スタンドエフエム)(事前にスマホ用のアプリのダウンロードが必要)で行います。スマホでしか参加できませんので、ご注意ください。

 

スタンドFMの始め方

 

stand.fm(スタンドエフエム)は普通、スタエフと呼ばれています。以下、スタエフと風花も呼びます。

 

風花未来がスタンドFMでライブ配信を開始すると、専用URLが発行されます。そのURLを「風花まどか大学(公式)メルマガ」でお送りしますので、そのURLをタップすれば、ライブ配信チャットにご参加いただけます。

 

ライブチャットの参加マニュアルはこちらに

 

「まどか愛」という「愛の存在」を知る。

 

「まどか」を「愛」という視点から明らかにしてみます。

 

「まどか(円和)」は、自分自身を愛する(利己愛)と同時に、他者を愛すること(利他愛)でもあり、自分だけを、あるいは他者だけを愛することは「まどか」を生み出しません。

 

その意味から、「まどか(円和)」は利己愛や利他愛を超えた大きな愛によって育みだされると言えます。

 

「まどか(円和)」を、利己愛や利他愛と区別するために「まどか愛」と呼んでも差し支えありません。

 

●「まどか(円和)」は、愛に満ちた光の球体である。

 

利己愛や利他愛を超越した愛を理解するためには、「まどか」を愛に満ちた巨大な光の球体だと考えるとわかりやすいでしょう。

 

巨大な光の球体には、自分自身が必ず入っていなかればならず、球体の外に自己が存するのであれば「まどか」にはなりません。

 

つまり「まどか」は自己犠牲ではないのです。

自分も他者もいっしょに幸せになる(自分も他者も愛という名の光の球体の中で呼吸している)様を、イメージしてください。

 

大いなるもののために力を注ぐと言うと、自分のことは軽視すべきだと考えがちですが、それは間違い。

 

自分を愛することは大事。自分を愛せない人には他者も愛せません。「まどか」も生み出せないのです。

 

そしてもう一つ忘れてならない大事なことがあります。それは「愛に満ちた光の玉」は自分自身の中にもあるということ。

 

私たちは「愛に満ちた光の玉」を抱いているからこそ、自分の外側に広がる世界と愛の共振ができ、「まどか」を創造できるのです。

 

ですから「まどか」がかなえられる時、愛に満ちた光の球体は、自分の外側にある巨大なものと、自分の中にある小さな球体の2つがあり、2つの球体は共振(共鳴・呼応・交信)している状態だと言えます。

 

ここで一点、確認してほしいのです。

 

「哀しみ」は消えて「歓び」があふれている、それが「まどか(円和)」であること。

 

「まどか(円和)」は「歓びの世界」であり、その「歓びの世界」は「愛あふれる光の球体」なのです。

 

大事なのは、その球体は自分を含む巨大な世界と、自分の中の両方に存在すること。

 

自分の外側に大いなるもの(光の球)を見出し、同時に自分の内側にも大いなるもの(光の球)を見出しつつ、歓びの世界に自分自身が(他の生きとし生けるものとともに)息づくことこそが、本当の豊かさであり、希望の未来の創造へとつながるのです。

 

愛は惜しみなく包み込む

 

愛惜しみなく与う⇒トルストイ

 

愛は惜しみなく奪う⇒有島武郎

 

愛は与え続けるだけのものでもなく、奪うだけのものでもない。

 

「まどか学」における『愛』

 

愛は惜しみなくある

 

愛は惜しみなく湧き出る

 

愛は惜しみなく息づく

 

愛は惜しみなく包み込む(善も悪もすべて引き受ける大きな愛

 

人類は愛があふれる光の球体の中で生きる。その球体は自分の中にもある

 

愛を内に抱きつつ、愛に抱かれて生きる

 

愛とは、許すこと
愛とは、受け入れること

 

まどかとは、愛に満ちた巨大な球体を指し、また、その愛に満ちた球体の中で生きることを意味する

 

●高野悦子の詩「旅に出よう」

 

できるかぎり平静でいようと思っても、どうしても気負いたち、焦ってしまうこともあります。

 

そういう時、高野悦子の「旅に出よう」という詩を読めば、心が落ち着くかと存じます。

 

以下、その詩を引用してみましょう。

 

旅に出よう

テントとシュラフの入ったザックをしょい

ポケットには一箱の煙草と笛をもち

旅に出よう

 

出発の日は雨がよい

霧のようにやわらかい春の雨の日がよい

萌え出でた若芽がしっかりとぬれながら

 

そして富士の山にあるという

原始林の中にゆこう

ゆっくりとあせることなく

 

※この詩の全文は、以下で、どうぞ。

 

高野悦子「二十歳の原点」にある「旅に出よう」の詩について