「まどか学」の根底を流れる「慈哀美」と「愛歓美」

 

「まどか学」という思想の根底に息づく、美学(生き方)用語が二つあります。

 

それが「慈哀美(じあいび)」と「愛歓美(あいかんび)」です。

 

「慈哀美(じあいび)」は「うつくしみの世界」

「愛歓美(あいかんび)」は「よろこびの世界」

 

いずれも、風花未来のオリジナルワード(創作言葉)なので、何のなのか、わかりませんよね。

 

「まどか学」の「詩学」を形成する上で重要な詩人はたくさんいます。以下のページでご紹介した詩人とその詩は、すべて何らかの形で「まどか学」に肥しとなっているのです。

 

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その中でも、特に「まどか学」に影響を与えているのが、金子みすゞであります。

 

金子みすゞの詩の源泉「慈哀美(じあいび)」とは?

 

金子みすゞは時代を経るにしたがって、評価が高まっているようです。それは私たち現代人が求める要素が、金子みすゞの詩にあるからなのでしょう。

 

金子みすゞの詩は、生きとし生けるものへの慈しみと、愛深きがゆえの哀しみを、優れた技法(擬人法・視点移動など)を駆使し、魂と宇宙との調和を祈る、独自の「うつくしみ」の世界を表現しています。

 

金子みすゞの「哀しみ」の深さについては「鯨法会」の鑑賞で詳述しました。

 

金子みすゞの愛が深ければ深いほど、哀しみも深く大きい。

 

「かなしむ」は【悲しむ/哀しむ/愛しむ】とも書きます。哀しむことと愛することは、分けられないほど強く結びついているのですね。

 

また、「うつくしむ」は【慈しむ/愛しむ】とも書きます。 古語の 「うつくし」は 【愛し/美し】と書くのです。

 

したがって、美しさと慈しみ(愛しみ)は、お隣さん以上の関係、ほぼ一体と見て差し支えないでしょう。

 

その意味(視点)から、私は金子みすゞの世界を「慈哀美(じあいび)」と呼びたいのです。

 

「うつくしみ」は「慈しみ」とも「愛しみ」とも書きますが、私は独自に「うつくしみ」を「美しみ」と書くことにしました。

 

「うつくしみ」

 

慈(うつく)しみ

哀(うつく)しみ

美(うつく)しみ

 

※以上は、風花未来の独自の当て字です

 

慈愛と悲哀を美へと昇華する、それが「うつくしみ」の世界であり、「慈」なのです。

 

※「慈美」「うつくしみの世界」は、私、風花未来の造語です。

 

以上が、金子みすゞの詩にある「きらめきの秘密」にほかなりません。

 

「慈美(うつくしみの世界)」は、「まどか学」においても、必要不可欠な要素です。

 

この「慈美(うつくしみの世界)」があるからこそ、次にご紹介する「まどか学」が最重要視するキーワードの真の意味を知ることができる。また、その具現化も可能となるのです。

 

私は自分の考えを押し付けたいのではありません。優れた詩の3要素を結晶化させつつ到達した「うつくしみ」の世界である「慈哀美」は、私たち現代人が失いがちな「人らしさ」を取り戻し、より豊かに生きるために重要だと思うのです。

 

では、金子みすゞが私たちに遺してくれた数々の詩は、本当の幸福を金子みすゞにもたらしたでしょうか。また私たちは金子みすゞの詩を読んで、真の幸福を得られるでしょうか。

 

何かが足りない。金子みすゞの詩は、未完成なのです。

 

深い愛を抱き、哀しみに耐えつつ、美しい世界の実現をひたむきに祈り続けた。

 

だが、金子みすゞの「祈り」は、多くの人を幸福にするという「実り」を得られはしませんでした。

 

繰り返します。金子みすゞの詩は未完成です。シューベルトの「未完成交響曲」のように、哀しみに濡れて美しく、闇の中で光を抱きながらも、晴れやかな地平へは出られなかった。

 

金子みすゞは「祈る人」でした。しかし、その美しい「祈り」は、確かな成果をもたらさなかった。

 

金子みすゞの詩は「慈哀美」が輝く「光のバトン」です。みすゞの詩に感動することで受け取った「光のバトン」を、私たちの未来に具体的に生かしてゆきたい、と私は誓っています。

 

その誓いが、私の提唱する「まどか学」の根幹にあるのです。

 

私たちが困難な時代にあって、幸せになるためには、金子みすゞの「うつくしみ」と「慈哀美」を、どのように発展させ、「希望の未来」をつくってゆくかにかかっています。

 

その「希望の未来」のキーワードが「まどか」なのです。

 

「まどか」は「よろこびの世界」。愛歓美が輝く

 

美しさの中には必ず哀しみがある」と言ったのは、喜劇王と呼ばれた映画監督であるチャールズ・チャップリンです。

 

また、「人は哀しみを捨てるべきではない。哀しみをなくした時、人は無訓練な生き物になってしまう」と「考える人」などで有名な彫刻家のオーギュスト・ロダンは語りました。

 

「哀しみ」を知っている人でなければ、優れた作品は生み出せません。「哀しみ」は人間にとって貴重な要素だと言えます。

 

しかし、「まどか学」が求めるのは「美しくも哀しい世界」ではありません。

 

「慈哀美」の「哀しみ」を「歓び」に変えてゆくのが「まどか(円和)」のメインテーマです。

 

そのため「まどか」の世界を「愛歓美(あいかんび)」と呼びます。

 

「愛歓美」とは、愛と歓びと美が一体化した世界のこと。

 

金子みすゞの詩は「うつくしみの世界」であり、そこには「慈哀美」が息づく。

 

「まどか」は「よろこびの世界」であり、そこには「愛歓美」が輝く。

 

「まどか」の真ん中には「歓び」がある。真ん中にいつも「歓び」がある、美しく幸せな世界が「まどか」なのです。

 

「まどか」なる世界をかなえるためには、「慈哀美」と「愛歓美」の両方が必要です。

 

「よろこびの世界」は「うつくしみの世界」を踏まえなければ、実現できません。

 

以上の理由から、「慈哀美(うつくしみの世界)」と「愛歓美(よろこびの世界)」は対をなす、「まどか学」の最重要キーワードであると憶えてください。