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風花未来の今日の詩は「交差点」です。
交差点
交差点が怖い
気づいたら
交差点の前まで来ていた
足が動かない
どうしてだろう
35年前
私は大きな交差点で
交通事故を起こした
それがキッカケで
8ヶ月間も
入院生活を余儀なくされた
あの事故を起こす前
不吉な前兆があった
疲れていた
ストレスがたまっていた
思考が鈍っていた
いつも考え事をしていた
大きな交差点へ
私は
黄色の後半で吸い寄せられるように突入した
思考停止したまま
アクセルを踏み込んだが
交差点の半ばで
信号が赤に変わり
見切り発車してきた車の
横っ腹に
突っ込んでしまった
想い返せば
事故を起こしても
当然の精神状態だった
今は どうだろう
35年前とは
全く違う意味で
迷っている
迷っている時には
交差点に
突っ込んではいけない
あの時の教訓があるから
交差点の前で
私は空を眺めている
これまでの人生で
もっとも長い時間
空の青の青を
じっと見つめている
交差点は怖い
だが
死ぬことは怖くない
あの瑠璃色の空に浮かぶ
真っ白な雲の流れる方向に
歩き出せば
良いのかもしれない
皆様、こんにちは。風花未来です。
今回は、私の詩「交差点」について、少しお話をさせてください。
この詩は、一見すると35年前の交通事故という過去のトラウマ、そしてそれに縛られる現在の恐怖を描いたものとして読まれるかもしれません。
もちろん、発端にはその強烈な実体験があります。
しかし、こうして改めて自作に向き合ってみると、筆を執っていた当時の私自身すら無意識であった「深い救済のプロセス」が、この詩の中に隠されていることに気づかされました。
いくつかの視点から、この詩の深層を解き明かしてみたいと思います。
- 「足が動かない」ことの恩寵
冒頭で私は、「足が動かない」と戸惑っています。
35年前、私はストレスと疲労の中で「思考停止したままアクセルを踏み込み」ました。つまり、かつての私は「止まることができない病」に冒されていたのです。
ですから、現在交差点の前で「足が動かない」というのは、一見するとトラウマによる呪縛のようですが、実は魂が命を守るために獲得した「正しい防衛本能(=恩寵)」なのだと今になって気づきます。
動けないのではなく、無意識の私が「今は止まるべき時だ」と、私自身を強く引き止めてくれているのです。
- 水平の迷いから、垂直の祈りへ
私がこの詩で最も無意識の力を感じるのは、「空間の軸」の劇的な変化です。
交差点というのは、前後左右から車や人が行き交う「水平方向」の空間です。35年前の私は、その水平の空間の中で、黄や赤の信号に翻弄され、横っ腹に突っ込むという物理的な衝突を起こしました。
しかし、今の私は交差点の手前で立ち止まり、「空を眺めて」います。
視線が、迷いに満ちた水平の軸(人間関係や社会のしがらみ)から、垂直の軸(空、宇宙、大いなる自然)へと一気に引き上げられているのです。
これまでの人生で最も長い時間、空を見つめているこの瞬間、私はすでに「交差点(現実世界の迷い)」から離脱し、より次元の高い場所へと精神を避難させていることがわかります。
- 色彩のコントラストが生むカタルシス
言葉の端々に現れる色彩にも、強烈な対比が隠されています。
過去の事故の場面には「黄色」「赤」という、人工的で警告的な、そしてどこか血や危険を連想させる色が配置されています。
一方で、後半に広がるのは「青の青」「瑠璃色」「真っ白」という、自然界のどこまでも深く、純粋な色です。
人工の信号機の「赤」に縛られていた私が、永遠の自然である「瑠璃色の空」へと心を解き放っていく。
この色彩のグラデーションこそが、私自身の心の浄化(カタルシス)の過程そのものでした。
- なぜ「交差点は怖い」が「死ぬことは怖くない」のか
この詩の終盤、「交差点は怖い / だが / 死ぬことは怖くない」というフレーズがあります。
これは決して、生を諦めているわけでも、虚無主義に陥っているわけでもありません。
交差点とは「自らの意志で右か左か、進むか止まるかを選択し、その結果に責任を負わなければならない場所」です。
人間としての意志と決断を強烈に迫られるからこそ、交差点は恐ろしいのです。
それに対して「死」とは、あの空に浮かぶ白い雲のように、人間のちっぽけな意志や計算を遥かに超えた、大いなる自然の摂理の一部です。
自分がコントロールできない大きな流れに身を任せることは、実は恐ろしいことではなく、深い安らぎを伴うものなのです。
結びに
「あの瑠璃色の空に浮かぶ / 真っ白な雲の流れる方向に / 歩き出せば / 良いのかもしれない」
この最後の数行で、私は交差点を「渡る」とは言っていません。ただ、雲の流れる方向へ「歩き出す」と言っています。
もしかしたらそれは、交差点を避けて別の道を歩むことなのかもしれませんし、目的地そのものを変えてしまうことなのかもしれません。
この詩「交差点」は、過去の傷をえぐるためのものではなく、「もう無理をして、人生のアクセルを踏み込む必要はないのだ」「自然の大きな流れ(雲の行く先)に身を委ねて生きても良いのだ」という、私自身に対する深い『許し』の詩だったのです。
作者である私自身、この詩を書き上げたことで、35年間心の奥底で点滅し続けていた「黄色の信号」が、ようやく穏やかな「瑠璃色」へと溶けていったのを感じています。
皆様にとっても、ご自身の人生の交差点で立ち止まった時、ふと空を見上げるきっかけになる詩であれば、これほど嬉しいことはありません。

