Views: 4
今回は、ジャック・プレヴェールの「バルバラ」という詩をご紹介します。
バルバラ
嶋岡晨・訳『プレヴェール詩集』より
思い出してごらん バルバラ
あの日 ブレストには雨がしきりに降っていた
おまえは微笑みながら歩いていた
濡れて咲く花のように輝いてうれしげに
雨の降るなかを歩いていた
思い出してごらん バルバラ
ブレストには雨がしきりに降っていた
シャム街でぼくはおまえとすれちがった
おまえは微笑み
ぼくもやっぱり微笑んだ
思い出してごらん バルバラ
ぼくの知らなかったおまえ
ぼくのことを知らなかったおまえ
思い出してごらん
とにかくあの日を思い出してごらん
忘れてないだろうね
ポーチの下 ひとりの男が雨宿りしていた
その男がおまえの名を呼んだ
バルバラ!
雨のなかをおまえは男の所へ駆けこんだ
濡れて咲く花のように輝いて
うれしげにそれから男の腕に抱きしめられていた
あのことを思い出してごらん バルバラ
おまえなんて言ってもとがめないでおくれ
愛するものすべてをぼくはおまえと呼ぶんだ
一度しか会ったことのない人でも
愛しあっているすべての人に おまえと呼びかけるんだ
たとえ知らない人だって
思い出してごらん バルバラ
あのおだやかでしあわせな雨は
おまえのしあわせな町にふっていた
あの雨は 海の上にも
兵器庫の上にも
ウェッサンの船の上にもふっていた
おお バルバラ
なんてばかなことだ 戦争なんて
今おまえはどうしているの?
この鉄の 火の
鋼(はがね)の 血の 雨の下で
いとしげにおまえを抱きしめたあの男は
死んだのか 消息不明か それともまだ生きているのか
おお バルバラ
ブレストにはしきりに雨がふっている
むかし 降っていたように
けれどなにもかも変ってだめになっちまった
おそろしく烈しい喪(も)の雨だ
今はもうそれも 鉄の 鋼の 血の
雷雨でもない
ただの雨雲
犬のようにくたばっちまう雨雲さ
かき消えてしまう犬っころさ
ブレストの水に流されて
遠くの方でくさるんだ
ブレストの遠くの方で
なんにも残ってないブレストのずっと遠くの方で
日常の崩壊から戦争の不条理を突く:ジャック・プレヴェール「バルバラ」を読む
「おお バルバラ/なんてばかなことだ 戦争なんて」
フランスの国民的詩人、ジャック・プレヴェール(1900-1977)によって書かれたこの一遍の詩は、反戦詩という枠組みを超え、今もなお世界中で愛唱され続けている傑作です。
シャンソンの名曲としても知られ、イヴ・モンタンをはじめ多くのアーティストによって歌い継がれてきました。
舞台は、フランス北西部の美しい港町ブレスト。
第二次世界大戦中、この街はドイツ軍の潜水艦基地がおかれたため、連合軍による猛烈な空爆を受け、街の大部分が瓦礫の山と化しました。
政治的なスローガンやイデオロギーを一切使わず、ただ「市井の人々のささやかな愛と幸福」が破壊される様を描くことで、戦争の愚かさを痛烈に告発した本作品。その見事な構成と情景描写を、3つの場面から紐解いていきます。
- 記憶の中の「恵みの雨」と、日常のきらめき
思い出してごらん バルバラ
あの日 ブレストには雨がしきりに降っていた
おまえは微笑みながら歩いていた
濡れて咲く花のように輝いてうれしげに
(中略)
おまえなんて言ってもとがめないでおくれ
愛するものすべてをぼくはおまえと呼ぶんだ
一度しか会ったことのない人でも
愛しあっているすべての人に おまえと呼びかけるんだ
詩の前半は、かつての平和なブレストの情景から始まります。
詩人(ぼく)は、雨の街角ですれ違った見知らぬ女性「バルバラ」に語りかけます。
ここで降っている雨は、冷たく暗いものではありません。
恋人のもとへ駆け込んでいくバルバラを「濡れて咲く花のように」輝かせる、穏やかで幸福な「恵みの雨」です。
詩人は、見知らぬ他者であっても、愛し合っている幸福な人々への親愛を込めて「おまえ(tu)」と呼びかけます。
海の上にも、兵器庫の上にも、分け隔てなく降り注ぐ優しい雨。
そこには、ただ当たり前のように存在していた、人々の美しい日常と愛のきらめきが描かれています。
- 突然の暗転:「鉄と血の雨」への変貌
おお バルバラ
なんてばかなことだ 戦争なんて
今おまえはどうしているの?
この鉄の 火の
鋼(はがね)の 血の 雨の下で
いとしげにおまえを抱きしめたあの男は
死んだのか 消息不明か それともまだ生きているのか
詩の半ば、プレヴェールは「Quelle connerie la guerre!(なんてばかなことだ 戦争なんて!)」という、あまりにも直接的で、それゆえに強烈な一言を放ちます。
この一行を境に、詩の世界は劇的に暗転します。
かつて街を優しく濡らしていた雨は、「鉄の、火の、鋼の、血の雨」すなわち空爆の雨へと姿を変えました。
戦争という巨大な暴力の前では、バルバラの愛の物語も無惨に引き裂かれます。彼女を抱きしめた青年は死んだのか、それとも生きているのか。誰にも分かりません。
この極端な対比こそが、プレヴェールの真骨頂です。
国家間の争いや歴史的な背景を語るのではなく、「あの美しかった見知らぬ恋人たちの幸せは、今どうなってしまったのか」という一点において、戦争の圧倒的な理不尽さを読者に突きつけるのです。
- 全てが失われた後の「喪の雨」と虚無感
おお バルバラ
ブレストにはしきりに雨がふっている
むかし 降っていたように
けれどなにもかも変ってだめになっちまった
おそろしく烈しい喪(も)の雨だ
(中略)
かき消えてしまう犬っころさ
ブレストの水に流されて
遠くの方でくさるんだ
ブレストの遠くの方で
なんにも残ってないブレストのずっと遠くの方で
結びの連において、現在のブレストには再び雨が降っています。
しかし、それは昔のような幸福な雨でも、空襲の嵐でもありません。
「なにもかも変ってだめになっちまった」廃墟に降り注ぐ、絶望と死を悼む「喪の雨」です。
雨雲は「犬のようにくたばっちまう」と表現され、水に流されてただ腐敗していくだけの不毛な情景が描かれます。
「なんにも残ってない」という言葉の反復が、戦争が残すものの正体——すなわち「完全なる虚無」を浮き彫りにしています。
まとめ:なぜ「バルバラ」は人々の心を打つのか
ジャック・プレヴェールの「バルバラ」は、銃弾や死体の直接的な描写に頼ることなく、戦争の悲惨さを描ききった稀有な詩です。
私たちが戦争のニュースを聞くとき、ともすれば被害を「数字」や「大きな歴史の一部」として捉えてしまいがちです。
しかしプレヴェールは、その数字の中には、雨の中で微笑み、恋人の腕の中に飛び込んでいった「バルバラ」のような血の通った個人がいたのだという事実を、私たちに思い出させます。
「なんにも残ってない」街の情景から逆照射される、失われた日常の尊さ。「なんてばかなことだ」という詩人のため息にも似た怒りは、時代を超えて、今を生きる私たちの胸にも深く静かに響き続けています。


