コーチングという言葉が流行っているようです。

 

思うに、私もずいぶんと数多くのセミナーを受講してきました。再び東京に引っ越してからの10年間は、セミナーが生活の一部だったと言っても過言ではありません。しかし、なかなか良いコーチ(指導者)には巡りあえませんでした。

 

指導者という言葉で、すぐに想い浮かぶ人物がいます。それは、イタリアの偉大な彫刻家であるマリノ・マリーニです。

 

マリノ・マリーニは、ピカソと並び称される20世紀の巨匠です。

 

彼の弟子である、吾妻兼治郎さんに、私はアトリエで直接、指導を受けたことがあります。

 

吾妻兼治郎さんは、マリノ・マリーニについて、熱く語ってくれました。

 

すべてが感動的な話でしたが、その中でも、特に印象に残っていることがあります。

 

それは、マリーニの指導方法です。

 

吾妻さんは、マリーニには、たった一つのことしか指導されたことがないと言いました。

 

マリーニは、アトリエにくると必ず、「吾妻、きみはこの作品で何をしようとしているんだね」と質問します。

 

吾妻さんは、自分の作品のテーマ、新たな試みなどについて、詳しく語ります。

 

で、マリーニの答えは、いつも同じなんです。

 

よし、吾妻、それを思い切ってやってみろ

 

本当に、この一言だけ。

 

え? という感じですよね。

 

私はマリノ・マリーニの凄さは、この言葉にあると思いました。

 

実は、ありきたりな指導者に欠けているのは、この点です。何かを、純粋にやろうとしている人がいたら、背中を押してやる、それが指導者に一番必要なことだと思います。

 

吾妻さんは、失敗するかもしれない。でも、そんなことはマリーニはわかっているんです。

 

マリーニはもっと大きなものを見つめていたのだと思います。

 

小さな失敗など、全然怖くない。

 

自分のかかげたテーマ、理想にむかって、ひたむきに進みだすこと。それが何より大切なんだと、マリーニは、吾妻さんを、そう励ましていたのでしょう。

 

もっと驚くべきは、実は、吾妻さん以外の弟子にも、まったく同じ言葉しかかけなかったといいます。

 

このあたりが、さすがに天才ですね。

 

いろいろ悩んで、新しい一歩を踏み出そうとした時、私の目の前にいたコーチは、私の背中を押してくれる人はいませんでした。

 

何か、細かいことを指摘されましたが、何も憶えていません。私が聞きたかったのは、技術的なことではなかったのだと思います。もっと全然違う、核心的で、魂に響く言葉を待っていたのでしょう。

 

ひょっとすると私は、マリーニのように「よし、思い切ってやってごらん」というような単純な励ましだったのかもしれません。