2012年5月29日に、映画監督の新藤兼人氏が亡くなられました。当ブログ「美しい言葉.com」は「新藤兼人」というカテゴリを設けており、これから少しずつ、新藤監督の映画作品を紹介してゆこうと思っていたのです。

 

何か、新藤監督の映画について語ろうと思ったのですが、何も書けそうにありません。

 

そこで、新藤兼人氏に関する、読み応えのある文章(記事)を、ご紹介することに。今後も、見つけ次第、アップしてゆくつもりです。

 

山田洋次監督 新藤監督を偲ぶ「真似できない、肉声の映画だった」

 

新藤兼人監督次男・次郎氏「お疲れさまと言ってあげたい」

 

去年、新藤監督の「原爆の子」について書いた直後に、3.11大震災が起きました。私自身も、間もなく入院し、3度の手術を受けることに。

 

2011年は、生と死に向き合った一年でした。ですから、新藤映画は極限状況の中に咲く、神妙な花という印象があります。

 

静かに、ふつに極限状況を語った「原爆の子」は、私の魂を揺さぶり続ける数少ない映画作品です。

 

若い頃から、黒澤明の映画に惹かれ続けてきました。でも、最近になって、なぜか新藤兼人の映画の方に惹きつけられつつあったのです。

 

新藤兼人監督の映画には、飛びぬけた才気は感じられません。というか、才気に頼った映画づくりはしていないのです。

 

目線はあくまで低く、這いずってでも、人の真実を描き出したいという純粋な希求を映像から感じとれます。

 

「地を這うようにして映画を作った」とは新藤監督の言葉ですが、あふれる才能とか研ぎ澄まされた感性とかとは無縁な(そういうものは信じていない)映画空間の中にこそ、尊い人間の肌合いとか生活の真実は滲み出るのだと思うのです。

 

その意味で、新藤映画は声高に語るべきではないのでしょう。静かに、じんわりと語り継ぎたい空気感がそこにはあります。