風花未来の今日の詩は「つかの間の幸せ」です。

 

つかの間の幸せ 風花未来の小さな詩の部屋より

 

こんにちは、風花未来です。

 

今日は、少しだけ胸の奥があたたかくなるような、そんな「つかの間の幸せ」についてお話ししたいと思います。

 

病とともに生きていると、「普通の一日」がどれほど貴重で、「なんでもない笑顔」がどれほど尊いか、身にしみてわかる瞬間があります。

 

私は詩を書くとき、決して大げさな言葉を使わず、ただ、心に触れた“そのまま”を置いていきたいと思っています。

 

けれど、ただ優しいだけではなく、どんな状況でも自分を見失わない凛とした姿勢を保っていたい、そんなささやかな願いの気持ちを、言葉の奥にそっと忍ばせたい。

 

今日は、そんな思いで書いた一篇をご紹介します。

 

つかの間の幸せ

 

自分でも驚くほど

体の調子がいい

頭も良く冴える

食べ物もおいしい

 

これなら

わたしの掲げた

ひとつの目標に向かって

まっすぐに進んでゆけば

だいじょうぶだろう

 

などと考えた途端に

それは ちょっと

甘すぎる

と思い直した

 

だって

何しろ

もう

3週間ちかくも

抗がん剤を

休止しているんだから

 

副作用が辛くて

血液検査の結果が悪くて

抗がん剤が投与が

できなかったんだからねえ

 

 

そうだ

それが

あったんだ

 

もう

すっかり

忘れてた

 

いや

忘れそうになっていた

 

でも ねえ

今日

訪問してくれた

ヘルパーさんと

無邪気に

笑いながら話したよ

 

笑ったら

体が

軽くなったんだよ

 

今日の

あの明るさを

次の抗がん剤投与が

終わってからも

保てるかしらん

 

わからない

そんなことは

 

いいじゃないか

 

今日は

とても とても

調子が良くて

楽しかったんだから

 

 

なんて

 

もう

自分を驚かすことは

しないようにしよう

 

なにがあっても

明日はくるから

 

それだけで

じゅうぶんじゃないかな

 

ああ

 

とにも

かくにも

 

今日は

ありがたかったなあ

 

これで

良い夢まで見られたら

もう

幸せすぎて

怖いくらいだね

 

この詩に込めた想い

 

この詩は「良い日が来たときの、あの小さな戸惑い」をそのまま言葉にしたものです。

 

体調が良いと、つい未来に期待してしまう。

 

でも、期待しすぎると、次の落差が怖くなる。

 

そんな揺れ動く心を、私は否定したくありません。

 

人は、強くあろうとするほど、弱さもまた鮮明になるものだから。

 

けれど、「今日はありがたかったなあ」と素直になれたら、それだけで、少し、心も、体も、軽くなるのでは、と信じたい私が、ここにいます。

 

最後に

 

あなたが今、どんな場所にいても、どんな気持ちでこの詩を読んでくださっていても、「つかの間の幸せ」は、きっとあなたのそばにも静かに寄り添っています。

 

明日がどうなるかは、誰にもわからない。

 

でも、今日の小さな幸せを抱きしめられたなら、それはもう、十分すぎるほどの“生”の証です。

 

どうか、あなたの今日にも、そっと光が差していますように。

 

風花未来より

 

AI劇団「未来」から届いた「つかの間の幸せ」の論評

 

AI劇団「未来」の文芸部員から、評論文が届いたので、以下、ご紹介します。第三者視点からの論評は勉強になるので、ありがたい限りです。

 

論評:「つかの間の幸せ」における逆説とリアリズム

 

  1. 構成と展開の妙:安らぎの正体

 

この詩の最も優れた点は、冒頭の幸福感と、その「理由」が明かされる中盤の逆説的な展開にあります。

 

  • 導入(第13連): 「体の調子がいい」「頭も冴える」という、一見すると回復や好転を思わせる描写から始まります。読者も一緒に「よかった」と胸を撫で下ろすパートです。

 

  • 転換(第4連): ここで衝撃的な事実が明かされます。体調が良い理由は「回復したから」ではなく、「副作用が辛すぎて治療(抗がん剤)を休まざるを得なかったから」であるという点です。
  • 本来、命を繋ぐための治療ができないという状況は「不安」や「絶望」を生むはずですが、ここでは逆説的に「肉体的な解放(=幸せ)」をもたらしています。この「治療の不在による幸福」という皮肉なリアリズムが、この詩に深い文学的な陰影を与えています。

 

  1. トーンの変化について:独白の文体

 

いつもの風花さんの詩の「トーンとの違い」は、おそらく「飾らない独白(モノローグ)のリズム」にあるのではないかと推察します。

 

これまでの作品に見られるような、強い意志や哲学的な問いかけよりも、本作は「ふと漏れ出た本音」のような柔らかさがあります。

 

「あ/そうだ/それが/あったんだ」といった短いフレーズの連なりは、思考のライブ感(リアルタイムで思い出している感覚)を見事に表現しています。

 

この「隙のある文体」が、読者に対して非常に親密な空気を生み出しています。

 

  1. 「笑い」の身体性

 

中盤、ヘルパーさんとの会話で「笑ったら/体が/軽くなったんだよ」という一節があります。

 

精神論ではなく、物理的に体が軽くなるという描写が秀逸です。

 

抗がん剤の副作用という「身体的な苦痛」に対し、笑いという「身体的な快楽」が対置されており、人間が生きる上での根源的な喜びがシンプルに描かれています。

 

  1. 結びの余韻:「怖いくらい」の幸せ

 

ラストの「幸せすぎて/怖いくらいだね」という表現には、心を掴まれるものがあります。

 

単なるハッピーエンドではなく、「この平穏がいつ壊れるかわからない」という儚さ(サスペンス)を含んでいるからです。

 

「明日はくるから/それだけで/じゅうぶん」と言い聞かせつつも、良い夢を見ることさえ「怖い」と感じてしまうほど、現在の安らぎが貴重であることを強調しています。

 

総評

 

「綱渡りの上のピクニック」

 

そのような印象を受ける作品です。

 

足元には「治療の中断」や「明日の不安」という深い谷があるにもかかわらず、今のこの瞬間だけは、風を感じ、食事をおいしいと思い、人と笑い合うことができる。 その「あまりにも鮮やかなコントラスト」が、読む者の胸を打ちます。

 

悲壮感を無理に消すわけでもなく、かといって過度なポジティブシンキングに逃げるわけでもない。

 

「今のありのままの状態(Even if it's paradoxical)」を受け入れている姿勢こそが、この新しいトーンの正体ではないでしょうか。

 

非常に人間臭く、そして美しい詩です。

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