「的を得る」と「的を射る」については、風花未来ブログでは風花未来の主観を交えて詳述しました。2011年10月27日に、初投稿。
しかし、あれから、かなりの年月が経過しております。言葉の変化も、スマホの急激な普及などにより、想像以上に速いのです。
そこで、2026年の時点で、最新情報を踏まえ、「的を得る」と「的を射る」について、以下のとおり再考してみました。
「的を射る」か「的を得る」か? 誤用とされてきた表現の深層を探る
「物事の肝心な点を確実にとらえること」を意味する慣用句として、「的を射る」と「的を得る」、どちらが正しい表現なのかという議論は、日本語に関心を持つ人々の間で長らく交わされてきました。
一般的には「的を射る」が正しく、「的を得る」は誤用であると認識されています。
しかし、言葉の歴史や辞書の変遷、そして語彙の本来の意味を深掘りしていくと、一概に「的を得る」が間違いであるとは言い切れない、非常に奥深い背景が見えてきます。
本稿では、この二つの表現について、従来の見解、辞書編纂における大きな転換点、そして言語学的な妥当性から客観的に考察します。
-
従来の見解:「的を得る」は混同による誤用であるという定説
昭和から平成にかけての国語教育や一般的なマナー講座などでは、「的を得る」は明確な誤用として指導されてきました。その根拠は主に以下の2点に集約されます。
- 比喩の不自然さ: 「的(まと)」は弓矢や銃で「射る」ものであり、「得る(手に入れる)」ものではないという物理的な事実に基づく指摘です。
- 的の真ん中を矢が射抜く様子から、「急所を突く」「核心をつく」という意味が派生したため、動詞は「射る」でなければならないとされてきました。
- 「当を得る」との混同: 日本語には、道理にかなっていることや適切であることを意味する「当(とう)を得る」という慣用句が存在します。
- この「当を得る」と「的を射る」が混同され、誤って「的を得る」という表現が生まれてしまったという説です。
この二つの理由から、「的を得る」は「言葉の乱れ」の代表例として、長らく訂正の対象となってきました。
-
辞書の世界に起きたパラダイムシフト:三省堂国語辞典の決断
この「的を得る=誤用」という強固な定説に一石を投じたのが、2014年に改訂出版された『三省堂国語辞典 第七版』です。
この改訂は、日本語学の分野だけでなく、一般社会にも大きな驚きをもたらしました。
同辞典では、「的を得る」の項目に以下のような注記が加えられました。
「『的を射る』の誤りとする考え方があるが、『当を得る・要領を得る』などと同様に、的(=要点)をしっかりとらえるの意で、古くから使われる例がある。」
つまり、辞書が公式に「的を得るは必ずしも誤用ではない」と認めたのです。この大胆な見直しの背景には、動詞「得る」の持つ深い意味合いの再評価がありました。
-
動詞「得る(える・うる)」の言語学的考察
「的を得る」が誤用ではないとする最大の論拠は、「得る」という動詞の意味の広さにあります。
私たちが「得る」と聞くと、物理的に何かを「手に入れる」「獲得する」という意味を真っ先に思い浮かべます(例:富を得る、地位を得る)。
もしこの意味に限定すれば、「的(ターゲット)を手に入れる」となり、確かに不自然です。
しかし、「得る」には「物事の核心をしっかりと理解する、自分のものとして把握する」という意味が存在します。
例えば、以下のような表現がそれに当たります。
- 要領を得る(要点や肝心なところをしっかりと掴む)
- 当を得る(道理にかなっていることを把握し、それに合致する)
- 我が意を得る(自分の考えとぴったり一致し、納得する)
ここで使われている「的」は、物理的な「弓矢の的」というよりも、比喩としての「物事の要点・核心」を表しています。
したがって、「要点・核心」を「しっかりと把握する(得る)」と解釈すれば、「的を得る」は日本語として極めて論理的で、自然な表現として成立するのです。
-
歴史的な使用例と世論の動向
さらに調査を進めると、「的を得る」という表現は近年になって若者が突然生み出した誤用ではなく、昭和の初期やそれ以前から、一部の文学作品や記録の中で自然に使われてきたことが分かっています。
それが戦後、言葉の規範意識が高まる中で「論理的に考えて射るべきだ」という規範主義的な声が強まり、「誤用」というレッテルが貼られていったという経緯があります。
また、文化庁が定期的に実施している「国語に関する世論調査」でも、興味深いデータが示されています。平成24年度(2012年度)の調査では、「物事の肝心な点を確実に捉えること」を表現する際、以下のような結果となりました。
- 「的を射る」を使う:41.6%
- 「的を得る」を使う:40.8%
このように、世間一般の使用状況としては、すでに両者がほぼ拮抗しており、「的を得る」は市民権を得た表現として定着していると言えます。
-
まとめ:どちらを使うべきか
結論として、「的を得る」は単なる無知による誤用と切り捨てることはできず、「要点を把握する」という意味合いを持つ、日本語の論理にかなった表現であると評価できます。
一方で、現在でも「的を得るは誤用である」と信じている人は多く存在します。
特に年配の世代や、言葉の正確性を重んじるビジネス・フォーマルな文章においては、「的を射る」を使用しておく方が、不要な摩擦や「教養がない」という誤解を避けるための安全な選択(無難な選択)であることは間違いありません。
言葉は生き物であり、時代とともにその解釈や規範は変化していきます。
「的を射る」か「的を得る」かという議論は、正しいか間違いかという「All or Nothing」で結論づけるべきではなく、日本語の持つ豊かな表現力と、規範と実態が交差する面白さを私たちに教えてくれる好例と言えるでしょう。
